CLTP クリスチャン・リーダーシップ・トレーニング・プログラム #22

 

私たちを見守る天使たち

 

  夫のジョニーは、心臓と脊髄の両方に大きな動脈瘤が発見され、テキサス州ヒューストンの病院に入院しました。手術が失敗した時のことを思うと、ジョニーは不安がつのるばかりでした。

 そんなことになれば、全身が麻痺する可能性もあるし、万が一、一生寝たきりにでもなってしまったら…、そう考えると怖くてたまらなかったのです。

 手術を受けるかどうかを決断する上で、神様が導いて下さるようにと私たちは祈りました。祈った後、ジョニーが一人で考えたいから、と言うので、私は一緒に来てくれた兄のジャックと共に、休憩所に自動販売機のコーヒーを飲みに行きました。

「もし手術を受けなければ、ジョニーは今年いっぱいもたないかもしれない。」

 私はジャックに言いました。

 一時間ほどたって病室に戻ると、ジョニーがほほ笑んでいるではありませんか。

「手術を受けることにしたよ。看護婦のシュー・リンさんが話してくれたんだ。」

 その看護婦さんはジョニーに、「手術は絶対にうまくいく。必ずあなたのために祈っているから」と約束し、「心配しないで」と言ったのだそうです。

 どうやってジョニーに、手術が成功すると確信させることができたのでしょう。私やお医者さまがいくら話してもだめだったのに。

「あの人のほほ笑みを見れば君も分かるさ。」

 夕方、私はジャックと一緒にシュー・リンに会いに行きました。その人は、ジョニーが話した通りの人でした。アジア系の人で、輝くほどの笑みを浮かべていました。温かく、思いやりがあって、快活な人です。

 やがて、ジョニーの妹のジェーンも到着したので、皆で待機室へ向かいました。手術には、シュー・リンも立ち合ってくれました。その日、非番だったのに、ぜひ付き添いたいと言ってくれたのです。手術中も、度々やって来ては経過を伝えてくれました。彼女の姿を見る度に、私たちの心に希望の明かりがともり、ほっと胸をなでおろしたものです。

 やっと長い手術が終わった時も、医者が報告に来る前に、シュー・リンが無事に終わったことを知らせに来てくれました。

 術後五日間、ジョニーは集中治療室に入りました。目を覚ますと、よくシュー・リンがそばにいて、額を拭いたり、手を握ってくれたりしたそうです。

 そのシュー・リンが別れを言いに来ました。ジョニーの容態がようやく峠を越した頃のことです。

「私を必要としている人が他にもいるので、行かなくてはならないんです」

 翌週には、ジョニーはすっかり回復して、退院できるまでになりました。あんなに良くしてもらったのだから、ぜひシュー・リンにお礼を言わなくては、と思い、病院に問い合わせてみました。ところが、当直の看護婦に聞いても、けげんそうに私を見つめるだけです。そんな人は聞いたこともない、と言うのです。ジョニーもジャックもジェーンも私も、彼女が私たちと共にいたことは知っています。シュー・リンを絶対に探し出そうと決意した私は事務室に出向きました。しかし、そんな看護婦はいない、という返事でした。

 その時になって初めて気づいたのです。病院は守護天使の記録は取っていないのだ、と。    

スー・ブライソン

 

 

  その日、ロングアイランドは吹雪でした。盲導犬のダスティンは、おびえていました。カリフォルニア育ちで、吹雪は初めての経験だったからです。目の見えない私には、なすすべもありません。人っ子一人おらず、方向を知る手がかりとなる音もなかったからです。一般の人は、盲導犬が道を知っていて盲人を手引きすると思っているようですが、実際は、盲人が盲導犬に指示を出すものなのです。

 四十五分も悪戦苦闘したあげく、私たちはなんとかアパートまでたどりつきました。でも、盲導犬は定期的に散歩に連れて行かなくてはなりません。

「今度行く時は、神様に一緒に来てくださるようにお願いしたらどうかしら。」 友達のこのアドバイスを聞いて、私は祈りました。

「主よ、ダスティンと私と共に来てください。風があまりにも強くて、目指す方向に神経を集中するのが難しいので、どうか導いてください。」

 雪が容赦なく顔に吹き付けてきて、ヒリヒリと痛みました。道を見つけるのがいよいよ難しくなります。ダスティンがクーンと鳴き声をあげました。

「大丈夫よ、主が一緒におられるもの。」 

 それから、「ダスティン、フォロー!」と命じました。「フォロー」とは、誰か他の人が道を案内してくれている時に、その人に従いなさいという指示です。

 すると、驚いたことに、ダスティンはパっと姿勢を正したかと思うと、道順がよく分かっているかのようにさっと歩き出すではありませんか。無事に通りまで出て、またアパートの前まで帰ってくることができました。

 若い女の人が寄って来て、部屋の前まで案内しましょう、と言ってくれました。

「足跡をたどって行けばいいですね。あなたのと、犬のと、それからもう一人の人の足跡がありますから。」

「もう一人の人って…?」

「犬の足跡がありますよね。それにあなたの足跡も。あと、もっと大きな足跡もありますよ。ご一緒に出かけられた方が他にもいたのでは。」

 一瞬、ためらったものの、私はすぐにこう答えました。「ええ、いました。」

 いつも一緒にいてくださる方が…。

  サンディー・セルツァー

 

 

  1992年、姉のジョイはガンと最後の闘いをしていた。俺はホスピスに入所したほうがいいと思っていたが、本人は、家を離れるのはいやだと言い張っていた。しかし、四六時中、俺が一緒にいてやれるわけではないし…。俺は祈った。

「主よ、いったい誰が姉の面倒を見られるのでしょう。」

 俺たちきょうだいは、おふくろは看護婦、親父は医者という家庭で育った。親父はシカゴから三十五キロほど離れたイリノイ州グレンビューで町医者をやっていた。親父の患者に対する熱の入れようといったら、町でも評判で、呼ばれもしないのに往診に行くことがしょっちゅうだった。

 姉も俺も子供心に、俺たちが忘れられているかのように感じ、患者に対してそれだけ熱を入れるんだったら、ちょっとは我が子のことだって気にかけてくれたら、と思ったものだ。

 親父はどんなに忙しくとも、毎週日曜の朝には、決まって地下室の入り口の階段に座り、教会用の靴を磨いていたものだ。

 俺は、ホスピスに入るよう説得してもらおうと、姉の担当でもある放射線技師のマリリン・クローガン先生に電話をかけた。すると、こんな答えが返ってきた。

「お父様からもお電話をいただきましたよ。病院で処置をやり尽くしたならば、お父様のところにジョイさんを呼んで一緒に暮らしたい、とおっしゃってました…」

 ちょうどその時、先生のポケットベルが鳴ったので、それ以上、詳しい話は聞けなかった。

 三日後、姉は自宅で亡くなった。

 世話になったクローガン先生にお礼の電話をかけた時、この前の電話での話にふれた。

「あれはうちの父ではなくて、他の人でしょう。」

 しかし、先生は、

「でも、ジョイの父です、とはっきりとおっしゃいましたよ。お姉さまの症状のこととか、治療の細かい点までよくご存知で、まるで医者のような話しぶりでした。」と言うばかりだった。

 その時、俺は悟った。自分の必要としていた安らぎを神様が与えてくださったのだと。親父は一九六七年に亡くなっていたが、今でも俺たちを見守ってくれていたのだ。

          スティーブン・G・グラディッシュ