クリスチャン・リーダーシップ・トレーニングプログラム

 

CLTP3

 

力と保護!

 

実話集:神が危機を救う!−−パート3

(11歳以上の読者に推薦。)

 

 

  これらのストーリーに関して、「力と保護、パート1」[CLTP1]に、マリヤ・フォンテーンによる興味深いコメントが載っています。

 一つのストーリーを読み終えるごとに11ページの話し合いのポイントを参照して下さい。

 

 

もう一人の救助者

 

ジェリー・ボンド著  

 

 1974年3月のことだった。夜中にはっと目覚めると、遠くから泣き叫ぶ声がする。初めはどこかの家で口論でもしているのだろうと思ったが、その声の緊迫した調子からただ事ではないと悟った。私は起き上がって窓を開けた。むっとするような煙のにおいが部屋に立ちこめた。

 「助けて! 助けて! 娘が中にいるの!」 悲鳴が冷たい夜の闇を突き破った。

  あわててズボンをはくと懐中電灯をつかみ、叫び声を頼りに近くのメドリン通りに向かった。火が出ていたのはグリーンという家からだった。れんが造りの平屋の窓から黒煙がもうもうと吹き出ている。近所の人達と数人の警官がいたが、消防車はまだだった。

   オレンジ色の炎が不気味に夜空を焦がしている。数人の男たちが家の裏口近くの小さな窓からグリーン氏をひっぱり出すのを、私は息をのんで見ていた。前の芝生の上では恐怖で顔をひきつらせた奥さんと3人の子供達が寄り添っていた。奥さんは半乱狂で叫んだ。

   「テレサが! テレサがまだ中にいるんです!」 

 「何とかしなければ。助け出さなくては」と思った。だが呆然と立ち尽くしたまま体が動かない。周囲の混乱とパニックにすっかり圧倒されていたのだ。熱と緊張感で辺り全体も崩れ落ちるかのようだった。恐かった。家の一部が焼け落ち、夜空にどっと火柱が上がった。奥さんがまた悲鳴をあげた。

   私は祈った。「主よ、私をお助け下さい。」それから家に向って走り出した。一番近い窓から何とか中に入ったものの、何も見えない。心臓が激しく鼓動している。辺りは黒煙に包まれ、真っ暗だった。

 部屋の真ん中あたりまで手探りで進むと、とっさに立ち止まった。何かが、強く奇妙な何かが、「ここではない」と教えたからだ。「子供はここにはいない。」 そう告げているようだった。その印象はあまりに強烈で、気のせいだと片づけることはできなかった。その時だった。誰かが私の肩をしっかりとつかんで窓の方に引き寄せたのは。

 「ここから出るんだ!」 私はその人物の安全を気づかって思わず叫んだ。が、振り向くと誰もいない。おののいている自分がそこにいただけだった。

 あっけにとられながら窓からはい出ると、地面に降りた。目を上げると奥さんが期待をこめ、必死の形相で私の目を見つめていた。テレサを見つけられなかったのを見てとると、違う窓を指さした。

 「あそこよ、あそこから中に入って。」 かすれ声でそう言った。

 窓は地面から2メートルくらいの高さだった。誰かに押し上げてもらい、私はドサッという音とともに床に落ちた。この部屋も真っ暗で火がくすぶっていた。目がひりひりし、50センチ先も見えないほどだった。

 再び祈った。「主よ、私を助けて下さい」と。

 次に起こった事に、私は一瞬、亜然としてしまった。まず、祈りが答えられ、自分が正しい場所にいてテレサを見つけられるという確信を感じた。そして驚いた事に、前の部屋から私を引っぱり出した、あの強い手を肩に感じたのだ。しかもこの時はもっと強力で、私を床にぐっと押し付けた。何が起きているのかわからなかったが、抵抗はしなかった。とっさにその手に従った。その存在は落ちついていて、不安を取り去ってくれた。それが善い存在であることがわかった。

 平静さを取り戻し、床に押されたままの格好でいた。それから壁づたいに床をはい始めた。べッドの所まで来ると起きあがって、乱れたベッドの上を探った。

 「だめだ! 体を起こすな!」 誰かの声が警告したようだった。私は再び床をはう体勢に戻った。ベッドの上には誰もいなかった。「心配するな、もうすぐだ。心配するな。」と、その声はささやいた。

 ベッドの脇には焼け焦げた椅子や布団、毛布が山積みになっていた。誰かがパニックになって放り投げたのだろう。そのこんがらがった迷路の山に手を突っ込んでいくと、私は探していたものを見つけた。腕か足かよくわからなかったが、テレサに違いなかった。一生懸命に引っぱり出すと、ついに、ぐったりとした茶色の髪の子が出て来た。

 「テレサかい?」 私はささやいた。

 かすかだったが、そのおびえたうめき声から、生きていることがわかった。テレサを担ぐと窓に駆け寄った。

 私が、テレサを地面の上に静かに横たえ人口呼吸するのを、人々はじっと見守っていた。そのすすで汚れた顔は無表情のままだった。パトカーの青いランプが暗闇の中で回っている。息を吹き込みながら、テレサが息を吹き返すように祈った。サイレンと赤いランプで消防車が到着したとわかった。私は息を吹き込み、祈り続けた。隊長がハンドマイクで指揮し、玄関のドアが壊されるのが聞こえた。家は酸素が入り込んだので、一気に燃え上がり、ものすごい熱風が押し寄せた。

 まぶたがかすかに動くと、テレサは自分で呼吸し始めた。救急車が着くまで私はテレサを抱きかかえていた。「間一髪で助けたようだね。」 救急隊員が私からテレサを受取りながら言った。「火傷をしているが、大丈夫だろう。」

 救急車が出るのを待って家に戻った。

 ベッドに入ってからも体が震え、恐怖の悲鳴が耳から離れず眠れなかった。何よりも、私をテレサのいる所に導いたあの不思議な存在が気になったのだ。神や祈りは信じていたが、このような形で現れると不気味に思われた。理解の限度を越えていたが、その事が頭から離れず、一睡もできなかった。

 翌朝7時、上着を着て火事の現場に戻った。真っ黒く焼けただれた煉瓦の家はまだくすぶっていて、前庭には焼けた家具の残骸が散らばっていた。数人の警官と現場検証をしていた消防署の調査官が、何をしているのか尋ねてきた。説明すると、出火原因はおそらくリビングルームのソファでタバコを消し忘れたためだろうと教えてくれた。

 テレサを見つけた部屋に行くと、そこも黒こげだった。壁は熱で火ぶくれし、部屋のすみには溶けたテニスラケットがあった。

 焼けただれた部屋をゆっくり見回していると、ふと、あるものに目が釘づけになった。テレサを見つけた場所の真上に肖像画がきちんと掛かっていた。奇妙な事にその場所だけ炎を免れたのだ。額縁はすすで汚れていたが、穏やかで安らぎを与えてくれるその顔は無事だった。

 それはイエスの絵だった。

 今でも、自分がそこにどのくらい立ちつくしていたのかわからない。私は疑い深く、じっと絵を見つめていた。だが、そこを去る時には、イエスに心からの感謝をささやいたのだった。新しく見いだした理解と信仰を心に抱いて。

 

  ―――――――――――――――――

 

嵐の海で 

    ブルース・ラーソン

  2年前、私は危うく命を落としそうになった。その体験で、それまで牧師として神の力について信じ説教してきたことをことごとく試されたのだった。

  全ては平和と穏やかさの内に始まった。8月の金曜日、美しい昼下がりに魅了され、注意力がすっかり鈍っていたのだろう。私は娘のクリスチンとルームメイトのマリアを連れてフロリダ西海岸の小さな無人島へとモーターボートを走らせた。樹の茂みの後ろに停泊し、貝を探しに行った。

  白い砂浜をぶらぶら歩きながら、私達はソデ貝などの美しい貝を捜した。娘たちは採った貝をオレンジの入っていた網の袋に入れていった。

  1時間もすると袋は貝でいっぱいになったが、私は北西の空に黒い雲が広がっているのに気づいた。

  最初、夏によくある湾岸スコールですぐにやむだろうと思っていたが、突然、空が暗くなったかと思うと、豪雨になった。砂は目を刺す程で、白い波頭が浜辺の奥まで猛然と襲いかかって来た。

  「早く戻らないと。」 私がそう叫ぶと、全員がボート目指して、入り組んだ浜辺を走り出した。やっとボートが見える地点まで来て、あっと息をのんだ。ボートが流されているではないか! 波が錨を引きずったに違いない。ボートは岸から30m程の沖合で狂ったように跳ねていた。

  すっかり取り乱した私は海に飛び込み、船に向かって必死に泳いだ。ボートなしには戻れない!

  高い波をくぐってボートがあるはずの所まで行き、顔を上げた。しかし、ボートがない! 遠くに高い波と強い風で上下するボートのへさきがちらっと見えた。

  その時、恐ろしいことに私自身も沖へ流されているのに気づいた。波に持ち上げられた時、遠ざかる浜辺に恐怖に引きつった娘たちの顔が見えた。その恐怖感が私にも乗り移り、次々に襲ってくる波の中を無我夢中で泳ぎ始めた。

  塩辛い海水にむせながら泳ごうとしたが、絶望的だった。逆巻く波にはばまれて、ほとんど前へ進めない。私は自分の愚かさを責めた。ボートをきちんとつなぎ止めておかなかったし、無謀にも流れたボートに向かって泳ぎ出してしまったのだ。

  荒れ狂う海でもがきながら、もう陸には戻れないと感じた。全身から力が抜けてきた。51才の筋肉は弱り果て、深い荒涼とした気持ちに襲われたのだった。

  すると、奇妙な思いが次々に浮かんできた。過去の記憶がフラッシュバックしていく。今までの人生を自分なりにうまく築いてきたと誇りに思っていたが、今度ばかりは手に負えない。もう溺れるしかないと思った。

  それから、私がした分別のある行動はただ二つ。テニスシューズを脱ぎ、神に祈った。

  「イエス様、私は溺れようとしています。あなたの御許に行こうとしています。こんなに早くとは思っていませんでした。あなたが私に下さった全ての良いものを感謝します。良き妻、家族、友人達、牧師の仕事、あなたのために伝道できたことを感謝致します。」

  間髪を入れずに主が私に語られたのを感じた。肉声はなく、直接心に語りかけられたのだ。「誰がおまえが溺れると言ったのか?」と。

   この言葉を聞いて、私の内に何か強く生き生きとしたものがわきあがった。どんな時でも神が一緒におられるという希望と安心感だ。

  希望が体力を新たにした。沈むどころか、立ち泳ぎしていた。「波は高い。しかし水は暖かい。しかも長時間こうして浮いていられるじゃないか。」と考えた。嵐が激しくなるにつれ、稲妻が暗い空に走った。しかし、心は落ちつき、さらに力が出てきた。

  ダイバーズウオッチの蛍光文字盤を見ると、ボートを追って泳ぎ出して一時間がたっている。依然として嵐は収まらない。

  立ち泳ぎを続けていくうち、何かが私の足にあたった。「サメか?」 恐怖に襲われた。言葉にならない必死の祈りが湧き上がり、主の臨在にすがったとき、恐れは静まった。もう同じことは起こらなかった。

  希望が私を生かし続け、なじみ深い聖書の言葉を思い出した。「そしていつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの三つである。」(第一コリント13:13) 私は信仰と愛の重要性についてしばしば書き、説教したものだが、個人的には希望のもつ力を知っておらず、その恩恵に預かろうとする事もなかった。

  今私は、希望には実際的な力があると知った。祈りにより主と直接話し続けられ、主が共にいてくださるという確信が希望をさらに増した。それが新たな力を呼び起こしたのだ。

  長い長い1時間が過ぎ、風も波もいっそう激しくなった。もう2時間も2メートル以上の波にもまれているのに、私はまだ生きている!

  そのとき闇を通して何か奇妙なものが見えた。大きなクリスマスツリーのようなものが近づいて来た。電飾のついたマストと三角形の索具のついた外洋タグボートだった。希望で胸がふくらんだ。助けが来たんだ!

  大喜びで私は波の谷間で両手を思いっきり振り、叫んだ。「オーイ、ここだ。ここにいるぞ。助けてくれ。」 

  まもなく30m程に近づいた。照明はまぶしく、エンジンとスクリューの震動が水を通して伝わって来る。しかし、私の声は嵐でかき消された。タグボートは通り過ぎ、やがて船尾の光も闇の中に消えていった。

  絶望のあまり、希望も失せ、力尽きてしまった。「これで終わりです、主よ。結局、助からないのですね。」 

  すると答が来た。「2時間前、どんな船も見えなかったとき、おまえは私に希望を見いだしたのではなかったか?」 私を試みておられるのだと、頭にひらめいた。「おまえはどちらを信頼するのか? タグボートか? 私か?」

  「主よ、おゆるしください。」 私はささやき、再び力が出てきて泳ぎ続けた。さらに一時間が過ぎた。1時間! こうして浮いていられるだけでも奇跡だ。嵐の海に4時間も。両足にけいれんが始まった。しかし、空は少し明るくなり、風も弱まってきた。

  もう一度希望を持とうと努めた。

  次第に嵐は去り、湾は遅い午後の日差しを浴びて青く輝きだした。突然、水平線のほうから船が白く波をけりながらこちらへ突進してくるのが見えた。

  絶対に助けに来てくれると信じた。体力を消耗しきって、私を支えているのは希望だけだったから。  

  甲板に引き上げられ、白髪の老船長が、島から娘たちがオレンジの袋を振って知らせたのだと教えてくれた。

  「見つかるよう神に祈ってたが、本当のところ死体を捜していたのさ。」と言った。さらに私をじっと見て、「全く! こんな元気な年寄りは見たことがない!」と叫んだ。

  私は微笑もうとしたが、甲板にどさっと座り込んでしまった。船室に背をもたれかけ、海を眺め、私と共にいて下さった方に感謝を捧げた。私は不注意にもボートを錨でしっかり固定させていなかったし、愚かにも流れた船を追って海に飛び込んだのだ。正しい行動は、ただ確かな希望を神に抱いたことだけだった。

  翌日、私は船長を捜して改めてお礼を言った。その時、船長はしばらく前に引退していて、前日は、たまたま誰かの代行で船を出したのだと知った。

  そして2隻の油槽船を曳(えい)航している時に娘たちの合図を見たそうだ。奇跡的にもその意味を理解し、無線で沿岸警備隊に通報して、船を切り離して私を捜索する許可をもらったのだった。沿岸警備隊も全長7.5メートルの船を派遣したが海上は相当しけており、その2倍の大きさの船で捜索するために、一旦戻らなくてはいけなかった。

  船長はさらに、前日、湾内の水路で船を座礁させたことを打ち明けた。「お粗末な経歴を作っちまった。しかしわかるかね? そこで時間をくったからこそ、船はまさにいい時にいい場所にいて、あんたを助けることが出来たってわけさ。私はそれを神に感謝しているよ。」

  無論、私もである。

 

  ―――――――――――――――――

 

シューフライパイ

    メアリー・ヘレン・リビングストン

 お医者さんはカバンをとじながら、私に言われました。「午後でも今晩でも、少しでも容体が悪くなったら電話して下さい。明日の朝また、往診に来ます。良くならないなら入院させなければいけません。水分を取らせないと。そして食べさせないといけません。」

 「できるだけのことはしているんですが、何を食べてももどしてしまうんです。」

 「頑張ってみて下さい。息子さんはどんどん衰弱し、脱水状態になってきています。最善を尽くして下さい。では、明朝見に来ますから。」

 私は息子の寝ているソファーの横のゆり椅子に座った。ボビーは生まれつきやせていたし、他の子よりは小さかった。今度は悪性のインフルエンザのおかげで、すっかり弱り消耗してしまっている。この子が入院しなくてはいけないとしたら、どうしたらいいのか。私はフロリダ州立大の看護学生で、入院保険もないし、本当に貧しい生活をしていた。病院が入院を拒否したらどうなるのだろう。

 私は静かに祈りました。「主よ、どうすればいいかお示し下さい。」

 「ボビー、お店に行ってスープか何か買ってこようと思うんだけど。ゼリーみたいなものはどう? 少しは食べられるかしら?」

 「いらない。」 

 「何か食べたいものはない?」

 「シューフライパイを作ってよ。それだったら食べられると思う。」

 ボビーはシューフライパイなど食べたことがなかったんです。今まで見たことも食べたこともないものをほしがるなんて。でも、どうしてそんなことを言ったのかはわかります。長いこと病気で辛いだろうからと、図書館で借りた本を読んでやったんです。マーガレット・デアンジェリの「ヨーニーのふしぎな鼻」がボビーのお気に入りでした。それは、ペンシルヴァニア・ダッチ地域に住む、ジョニーという名のキリスト教のアーミッシュ宗派の子供の物語で、アーミッシュの習慣や服装、食べ物など、日常生活が生き生きと描かれていました。(注:アーミッシュ宗派:ペニシルヴァニア州に住むメノー派の一つ。簡素な生活を送り、電気や自動車などを使用しない。)

 私はジョージアとフロリダで育ちました。アーミッシュなんて知らないし、アーミッシュの知り合いもいないし、ペンシルヴァニア・ダッチ料理なんて見当もつきません。一体シューフライパイって何なのでしょう? カスタードパイ? 挽き肉とポテトを混ぜた香ばしいシェパードパイ? その物語にはシューフライパイが出てきますが、材料は何も書いてありません。けれども、ボビーはそれしか食べたくないというのです。多分やってみる値打ちはあるでしょう。どっちみち、体に害を及ぼすほど長く胃袋にとどまってはいないでしょうから。

 ボビーの望み通りにしてあげようと決心して、調理法を捜し始めました。ペンシルヴァニア・ダッチ料理の本なんてレオン郡の図書館にも州の図書館にもありませんでした。フロリダ州立大学にはありましたが貸出し中で2週間後でないと戻りません。近くの本屋に電話しましたが、ありませんでした。近所の人、友達、親戚などに片っ端から電話しましたが、せいぜい聞いたことがあるという程度でした。

 「ボビー、この町にはシューフライパイの作り方がないの。本当にごめんなさいね。良くなったら、また調べてみるから、今はできる範囲で何とかしないと。お店に行ってボビーの食べられそうなものを買ってくるわね。お母さんが出かけている間、おじいちゃんといてね。」

 「ママ、どこの店に行く? 僕、神さまにその店でママに作り方を教えて下さいってお祈りしてみる。神さまは聞いてくれるよ。」

 「まあ、ボビーったら。」私は不安になりました。「ボビー、お願いだからやめて。」 ボビーの純粋な信仰が傷つくなんて耐えられないと思ったからです。近所の食料品店でシューフライパイの作り方を見つけさせるなんて、神さまにも出来っこないでしょう。可能性のありそうなところは全部調べました。私はボビーにそんな無理な祈りをしてほしくなったかのです。でもボビーの子供っぽい信仰はくじけませんでした。

 「神さまはちゃんと知っているよ、ママ。ウィンディキシーの店に行くんでしょ?」

 「そうよ、何かいいもの買ってきてあげるから。すぐ帰るわ。」 

 ウィンディキシーで赤や緑のゼリー、バタースコッチプリン、チキンスープなどを買い込んで、レジに行こうとした時のことです。信じられない光景が目に入りました。

 二人の婦人が店に入ってきたのです。一人は黒い帽子を、もう一人は白いのをかぶっていました。まるで「ヨーニーの不思議な鼻」からそのまま抜け出てきたかのような婦人たちです。そこで急いで近づきました。

 「すみません、失礼ですけど、アーミッシュの方ですか?」

 「はい、そうですが。」

 「でしたら、シューフライパイの作り方をご存じでしょうか?」

 「もちろん。アーミッシュの女でしたら誰だって知ってますわ。」

 「材料と作り方を書いて頂けますか?」

 「ええ、いいですよ。紙をお持ちなら書いてあげましょう。おいしいパイができるよう、一緒に材料を探しましょうか。」  

 私達は、黒砂糖や糖蜜やスパイスを買い集めました。このタラハシーに住んでいるのかと尋ねると、こんな答えが返ってきました。「まあ、とんでもない。通りがかっただけですよ。南フロリダからペンシルヴァニアに帰るところなんです。どうしてここに入ったのかしら。連れが突然、あのウィンデキシーに立ち寄ろうと言い出したので・・・。でも理由がさっぱりわからなくて。」

 私は驚き、自分の不信心を恥じました。理由は明らかでした。ボビーが祈ったから、神が答えて下さったのです。

 帰宅すると、ボビーが言いました。「ママ、神さまが作り方を教えてくれたでしょう。」 その調理法の分量はパイ皿二つ分もありましたが、ボビーは夕方にほとんどまるまる一個たいらげ、薄めの紅茶も数杯飲みました。しかも、全然もどさなかったのです。炭水化物たっぷりのパイがエネルギー源となり、紅茶によって脱水状態から回復しました。翌朝にはフルーツジュース、ポーチドエッグ、トーストを食べられるようになりました。ボビーはみるみる回復したのでした。

 それから何年もたちましたが、私は二人のご婦人達に読んでもらえることを祈りながら、この手紙をしたためました。

 

「親愛なるアーミッシュのご婦人達へ

 この手紙を書くのが遅くなってしまってすみません。あの時お会いしてからもう何年もたってしまいました。お名前もご住所もお伺いしなかったこと、お許しください。自分のことで頭がいっぱいで、お二人が果たして下さった素晴らしい役割に改めてお礼を言う機会を逃してしまいました。

 おそらくお二人にとってはささいな出来事で、すっかり忘れておしまいのことでしょう。あの時、確かお二人はフロリダに行かれての帰り道でした。フロリダ州のタラハシーのビジネス街を通って、右手のウィンデキシーという店に来られましたね。覚えていらっしゃいますか?

 ぜひお二人に思い出していただきたいです。なぜならそれは全く偶然ではなかったのですから。それ以来、私の信仰がくじけ、とかく懐疑的になりがちな時には、重い病気の子供が答えてもらえると確信して単純な祈りを祈ったことを思うのです。私と違ってボビーは、一体どうやってかなえられるのかなど気にせず、ひたすら神さまの無限の力を信じていたのです。人と違って神さまはすべてを可能に出来るのだから、人間の限界を神にあてはめるなどお門違いだということを改めて思いました。アーミッシュの方たち、主の使いとして来て下さったことにお礼申し上げます。」

 

  ―――――――――――――――――

 

凍った体

 

ジーン・ヒリアード・ヴィグ

 

 私はバッグと車のキーをつかむと、新しく買った腰までの緑のパーカを着て玄関に向かった。母が言った。「ジーン、ブーツとスノーパンツをはいていかないの? 今夜は冷え込むわよ。」

 ミネソタ州北部の農場で生まれ育った私は、寒い気候には慣れっこだった。

 「大丈夫よ、ママ。町まで車で行って友達に会うだけだから。そんなに寒くないわ。」

 19歳の私は、友達との外出には防寒服よりもカウボーイブーツとブルージーンズのほうがぴったりだと思った。それに、ほんの数時間後に気温がマイナス25度にまで落ち、風速22メートルもの吹雪になろうとは夢にも思っていなかったのだ。

 真夜中近く、フォストンで友達と楽しい時間を過ごした後、私は父の大きな白いフォードLTDで家に戻る途中だった。普通は4WDのトラックを使うのだが、今夜はガソリンがあまり入っておらず、父からフォードを使っていいというお許しをもらったのだった。

 家に向かう途中、雪がヘッドライトに照らされてきらきらと光っていた。私は古い田舎道を通ることにした。ハイウェイよりも近道だからだ。それにあの田舎道はいつ通っても大好きだった。高い松林をぬって走り、2、3キロ毎に家か農場が一軒ずつ、ぽつんぽつんと姿を見せる以外は、まるっきり絵はがきのような世界だった。透き通るような青いミネソタの湖、高い木々、それにくねくねと曲がった起伏の多い狭い砂利道だ。

 新雪のせいで、道路の真ん中に出来た小さな氷の部分が、私の目には入らなかった。はっと気づいた頃には車は横滑りし、あっと言う間に前輪が溝の近くまで滑っていた。ゆっくりとバックしようとしたが、タイヤが空回りしている。そこで車を前進させると、前輪が路肩を滑り落ち、車はお手上げの状態になった。

  怖くはなかったが、うんざりしていた! 「大切な車に何て事をしてくれたんだ!」 父の怒鳴り声が聞こえてきそうだった。

  8百メートルほど行けば家があることはわかっていたので、車から下りて、ぷりぷりしながら道路を歩いていった。前の座席に帽子を置き忘れたままで・・・。

  自分で引き起こした問題に腹を立て、その怒りのおかげで数百メートルは寒さを感じなかった。風が強くなってきたので、やむなくパーカのえりを立ててジッパーを上げ、鼻と口を覆った。ポケットに深く手を突っ込んで、先のとがった皮のカウボーイブーツで雪の中を進んだ。

 少し歩き続けた所でウォリーの家の事を思い出した。反対方向だ。そこで私は向きを変えた。「8百メートルくらいだわ。」 私はそう思った。ウォリーは両親の知り合いで、4WDのトラックを持っていた。あのトラックなら簡単に車を溝から引き上げてくれるだろう。

 私はとぼとぼ歩き続けた。8百メートルほど行った所で、一軒の家の前を通り過ぎた。家には明かりが灯っておらず、玄関から車道までの私道にもタイヤの跡はなかった。「きっと町に出かけているんだわ。」と思った。

 あと7、8百メートルかそこら歩いた。次に見えた家も暗く、やはり家の前は雪でいっぱいでタイヤの跡はなかった。(後でわかったのだが、その夜どちらの家にも人がいたものの、私の車が溝に落ちる1時間ほど前に、タイヤの跡が雪で覆われてしまっていたのだ。)

 私はどんどん歩いた。風が松林の中をヒューヒューと音を立てながら吹いていた。足が痛くなってきた。ドレッシーなハイヒールのブーツはハイキング向きではない。「どうして近道なんかしたんだろう。本道なら、少なくともこの時間でも車が通ったのに。」

 私は何とかもう一つ小さな丘を登った。ついに、遠くにウォリーの農場が見えた気がした。そうだ! 家に続く長い小道があった。次第に呼吸が速くなった。そして・・・気を失ったのだ。

 覚えていないけれど、私はよろよろしながら歩き、何度か転びながらその長い小道を下ったようだ。最後の百メートルは四つんばいになって這っていた。だがそれも覚えていない。

 その頃までには、マイナス21度から26度もの凍てつくような風が吹いていた。ウォリーの家の玄関の真ん前で私は倒れ、雪の中に顔を突っ込んでいた。そのまま一晩が過ぎた。翌朝ウォリーは7時前に玄関から出てきた。普通は8時まで仕事に出かけないのだが、神に感謝することに、その朝は早出することにしたのだった。ウォリーは雪に埋もれた私を見て、体をかがめて脈を取ろうとしたが、脈はなかった。私の腫れ上がった顔は血の気がなく、灰色になっていた。目は開いたまま凍っていて、呼吸もしていなかった。

 ウォリーは、どうやって私を抱え上げて自分の車に乗せたのか、いまだにわからないそうだ。まるで54キロの薪(まき)と格闘しているようだったという。

 病院はフォストンにあった。ウォリーは急患受付のドアから助けを求めて叫んだ。ウォリーが私を脇の下から抱え、二人の看護婦が足首を持ち上げた。私の体は全く曲がらなかったのだ。

 私を担架に乗せながら一人の看護婦が叫んだ。「カチカチに凍ってるわ!」 もう一人の看護婦は、私の親友の母親で、「ジーン・ヒリアードだわ! このブロンドの髪と緑のジャケットに見覚えがある!」と言った。

 事務のロージー・エリクソンは、騒ぎを聞いて廊下に飛び出した。私の体の上に身をかがめ、こう言った。「ちょっと! 聞いて!」 一瞬、担架の周りが静まった。「うめき声よ・・・喉元から聞こえるわ! 聞いて!」

 私は緊急処置室に運び込まれた。その朝は、ジョージ・サターというわが家のかかりつけの医師がいた。聴診器をあてても、呼吸も心音も聞こえない。心音モニターを接続すると、非常にゆっくりとした弱々しい鼓動をキャッチした。心臓専門医が「死にかけている心臓」のようだと言った。

 「ブーツを脱がせろ! 毛布を持って来るんだ! まだ生きているぞ!」 救急治療室がにわかに活気づいた。だがすぐに脱がせられたのはブーツとジャケットだけだった。あとは体に凍り付いていたのだ。

 医者と看護婦がジーンズを切り裂くと、足首から下は黒くなり、脚と腰にも黒い部分があるのを見た。ももから下は腫れ上がっていた。細胞組織の損傷がひどく見えたため、到着した両親にサター先生は、たとえ命は取り留めたとしても両脚切断は覚悟した方がいいと言った。両親に心の準備をさせたかったのだ。

 サター先生は酸素吸入を命じた。すると一人の看護婦が「アクアパッド」をしてみてはどうかと提案した。それは水がいっぱい入った新製品の電気パッドで、前日に病院に納入されたばかりだった。看護婦達は電気パッドのパッケージを次々に開けていった。幸運にも、特別な機械にそれをつなぐ方法を知っている唯一の看護婦が出勤しており、やり方を指示した。

 私の体はカチカチに凍っていたため注射針さえ通らず、解凍過程を早めたり、炎症を防ぐ薬さえ打てなかった。だがロージー・エリクソンはある事をしようとしていた。医療チームが考えもしなかったことを。

 ロージーは廊下で私の両親に会った。「ヒリアードさん、ジーンのために私の教会の『祈りの輪』で祈ってもいいですか?」

 この事態におろおろしていた母は、素早く答えた。「ええ、お願いします!」

 エリクソン夫人は急いで事務室に戻ると、夫が牧師を務めるバプテスト教会の、祈りの輪の代表者に電話をかけた。皆の祈りが始まった。最初の人が次の人に連絡し、その人が3番目の人に、という具合に次々と連絡して祈りが引き継がれていった。

 私の心臓の鼓動は心持ち速くなり始めた。1分に72回という普通の速さに比べたら、はるかに遅かったが、それでも医者達は大喜びだった。徐々に自力で呼吸も始めた。

 祈りの輪はどんどん広まった。エリクソン夫人はフォストンのルーテル教会とカトリック教会とメソジスト教会、それにベテル・アッセンブリー教会の牧師にも電話をした。その牧師達は各自の教会の祈りの輪の代表者に電話をし、その人が次々に伝えていったのだ。

 祈りの輪が始まってものの1時間もしない内に、サター先生の予想に反して足の色が明るくなり、普通の色に戻り始めた。次々と医者や看護婦達が入ってきては、黒っぽくなった箇所の境界線がうっすらとピンク色になっているのを見て驚いた。(境界線はももの上部で、サター先生が切断しなければならないだろうと言った場所である。)

 祈りの輪は益々広がり、近くのクルックストンやベミジさらにはノースダコタのグランドフォークスにまで至った。すぐに何百人、そして何千人もの人達が、カチカチに凍った若い女性がフォストン病院に担ぎ込まれ、神の奇跡的ないやしを切に必要としていることを知ったのだ。

 看護婦がもっと毛布を取りに行く途中で、エリクソン夫人のいる事務室に顔を出して言った。「助かるかも知れないわ! 上から脚の色が戻り始めているの! 心臓の鼓動も強くなっているわ!」

 エリクソン夫人は時計を見上げて思った。「祈りの輪は今、最高潮だわ。神はすでに祈りに答えて下さっている。絶対に助かるわ!」

 その時、病室にいる全員の態度が一変した。「おそらく、だめだろう。」ではなく、「多分助かるだろうが、ひざから下は失うだろう。」に変わったのだ。

 その日の正午前、私は体をこわばらせて、「ママ」と聞こえるような言葉をうめいた。母と一番上の姉サンドラがベッドの脇にいて、私の手を持ったり、握りしめたり、軽く叩いたりしていた。「ジーン、ジーン、目を覚まして! ジーニー、聞こえる? ママよ。サンドラもここにいるわ。ジーニー、愛してるわ。ジーニー、聞こえる?」 正午頃になって、私は一言二言つぶやいた。

 祈りの輪はその地域全体で続いていた。

 3時頃には、私は目を覚ましてベッドの中で体をあちこち動かし始めた。私の足全体から黒い部分が少しずつ消えていくのを、医者も看護婦も驚きのまなざしで一日中見ていた。

 夕方になって、サター先生は、足首から下だけは切断を免れないだろうと思った。だがその数時間後、切断はつま先だけですみそうだったので仰天した。

 結局、私は体のどの部分も失わなかった! 爪先も含めて足全体がすべて普通の色になり、血液の循環も普通に戻ったのだ。

 サター先生は、大きな水ぶくれにおおわれた爪先に皮膚を移植せねばならないと思っていた。だがこれらの部分も移植せずにいやされた。

 自分の体が完治したのを見て、私は確かに奇跡が起こったのだと確信した。サター先生でさえこう言うのだ。「私はただ彼女を介護しただけ。神がいやされたんだよ。」

 私はしばらく入院していた。医者達が凍傷から回復したことを確認し、つま先が炎症を起こす可能性を低めるためだ。その間、私は一度も恐れを感じなかった。自分がいやされるという前向きな信仰で満たして、私を落ち着かせてくれたのは祈りの輪だったと確信している。

 私が凍死しかけたのは、1980年12月20日の夜だった。以来私は、素晴らしい男性とめぐり合い、結婚し、美しい2人の子供を授かった。家族でフォストン郊外の農場に住んでいる。生活は安定し、楽しい毎日だ。だが私はよくあの夜のことを考える。

 あの経験のおかげで、私は別人になった。去年の冬、民間防衛対策活動の専門家や軍の軍曹、ハイウェイパトロール、それにクルックストンの医者で低体温の専門家という面々が揃う一団に加わった。私達はこの周辺の様々な町や郡に行って冬のサバイバル方法について講演するのだ。私は自分の経験談を話し、冬の天候に十分備えずに出かけると何が起こるかを説明した。

 自分にこんな事が出来るとは驚きだ。高校の時、スピーチの時間になると完全にあがってしまっていたからだ。人前に立って、自分に目が向けられると考えただけで吐きそうになった。だが今ではそんな恐れは全く感じない。私は堂々と体験談を話す。一人でも私と同じ間違いをするのをくい止められたらと願うのだ。

 神が私を救って下さったのは、これが理由だと信じている。変化が激しく、非常に寒い冬を生きのびる方法を、他の人達が学ぶ助けをするためである。

 私が変わったのはそれだけではない。家族との仲もずっと親密になった。生きている一日一日を感謝するようにもなった。祈りの力にも多大な尊敬を払っている。命拾いをしたのは祈りの輪のおかげだと信じているからだ。身も知らぬ何千人もの人達が、私に代わって強力な祈りの要請を天に送ってくれたために、あらゆる医学の常識に反して私は生き延びたのだ。ただ生き延びただけでなく、皮膚の移植さえせずに完全に健康な人間として生き延びた! 事実、凍傷にかかった人の大半とは違って、私は寒い中にいても 何の後遺症も出ない。

 私達が祈りの輪について話していた時、病院である牧師が思い出させてくれたことがある。それは、神の子供達として私達は、「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5章17節)と命じられていることである。

 私に奇跡が起こったのはそのおかげだと確信している。私のためにあの人達が絶えず祈ってくれたからだ。

 

  ―――――――――――――――――

 

虫の知らせ

  J・V・カルバート

  「何だろう、ジーザス*ルカへ:ページの下かどこか、見栄えのいい所に次の意味の説明を入れてもらえますか? ジーザス:イエス・キリストのこと、この得体の知れない妙な気分は? この先下って行くと何か嫌な事が起きそうな気がする!」 

 8月の蒸し暑い夜だった。俺は18輪トラックを転がしながら、例によって「友達と話」をしていた。友達ってのは、もちろんジーザスのことだ。夜中の3時。後ろには22トンの鉄鋼をつんでいる。車の調子は上々だ。今日の仕事はテキサスのフォートワースとブライアンの往復だ。慎重なトラック野郎なら誰でもすることだが、出発前のチェックは全部念入りに済ませた。

 ただ一つ上々じゃないのはダッシュボードの上を走り回るこの薄気味悪い蜘蛛だ。52才で身長185センチの俺も、蜘蛛だけは大の苦手ときてる。運転用の革手袋で窓からはたき落とした。

 どうも俺の勘では、今日はばっちり目を開け「超」慎重に走らなきゃならない気がする。今までこんなことはなかった。とにかく主に助けを求め続けていた・・・ジーザス、あんたは俺の友達だ。あんたが自分の子供達に「すべてが益となるように」計らってくれようとしているのはよくわかっている。今日も俺の車に座って一緒に走ってもらいたい。俺のすぐ隣りで、事故にならないように守ってほしいんだ。それと、俺に付きまとっているこの不吉な予感も追っ払ってほしい。敬意と賛美をあんたに捧げます。

  トラック野郎は運転中はCB無線に夢中になる連中が多いが、俺はむしろ「主と話をする」ことにしている。俺の育った家庭じゃ、主と話したり賛美歌を歌ったりするのが息をするのと同じくらい自然だった。だから「米国中部貨物運送」のトラックで、こんな夜更けに孤独で、しかも長丁場の運転で突っ走る以上、主に話相手になってくれと頼むのが自然の成り行きってもんだ。

  夜走るときはいつも祈ってるか、なじみの深い賛美歌を歌うことにしている。そうしてると運転中何が起きても対応できそうな気がする。ところが今夜だけはどういうわけか心が落ちつかない。

 午前6時45分には漂白剤20トンの「帰り荷」を積み終わり、フォートワースに向かった。朝飯はいつもどおりカフェ・デキシーで食うつもりだった。デキシーに着いて、エンジンを止めたとき何となく「虫の知らせ」という奴を感じた。俺の中の何かがしきりに言うんだ。・・・ここで止めるな! 走り続けるんだ!・・・いつものジュース、卵、コーヒーが頭に浮かぶ。

 何とかその「声」をはねのけようと数秒間座ったままでいたんだが、結局俺の右手はエンジン・キーに伸びた。唸るようなエンジン音が上がる。駐車場から出ながら、俺は自分に言い聞かせた。・・・J・V! トラックの扱いにかけちゃ、おまえは抜群だが今、おまえの頭の中をよぎってる奴はトラックの腕以上のことだぞ!・・・俺は祈った。・・・主よ! 頼むから俺と一緒にいて下さい。頼りにしてる。

 高速6号線に出てからは運転に集中した。片側2車線の道で、トラクタートレーラーを走らせるには十分な車線幅とは言えない。

  「主、われを愛す・・・われ弱くとも、恐れはあらじ・・・」 気がつかないうちに歌い始めていた。この歌はガキの頃以来歌ってもいなかったが。

  ウェコーから50km近く走ったあたりでサイドミラーを見ると、別のトラック野郎が飛ばしてくるのが目に入った。カラ荷だろう。でなかったら、あんなに飛ばせないはずだ。俺の方は荷が重いからのんびり走っていたんで、追い越しやすいように右に幅寄せしてやった。ビュウンと俺の脇を走り抜けていく時、奴サン、昔から仲間うちでよくやる左手のサインを送ってきた。「どうも、ご苦労サン」という意味だ。数秒後には奴は俺の300m先を下っていた。

 事故が起きたのはそのときだ。トレーラーの運転席は高い。地上ほぼ4mの高さから見ることになる。俺達トラック野郎にとって悪夢とも言える事態が目の前で展開するのを見る格好となった。一瞬、何が起きたのか、奴のトラックがコントロールを失った。フラツキを起し、高速6号線の反対車線に入り込んだ。そのまま道路の端ぎりぎりを突っ走ってから、道から70mくらい外れたゆるやかな傾斜の上で横にひっくり返り、ポケットナイフみたいに折れ曲がったかと思うと、完全にさかさまになった。ごう音があがった。まるで途方もなくでかいマッチをすったみたいだ。炎と煙があたり一面にモクモクと湧き上がった。

 その時には俺は十分安全な所にトレーラーを停め、燃え盛るトラックに向かって全速力で走ったが、膝は震えどおしだった。俺は祈った。「ああ、主よ!・・・助けて下さい!」 

 トラックに近づき、運転手を見つけた。てっきりオダブツだと思っていた。破れた窓に頭と肩がはさまって出血していた。さらに、大型サイドミラーの鋼鉄の支柱が丁度男の前にあった。支柱は完全にひんまがり、まるで刑務所の鉄格子のように男を閉じこめていた。ミラーの底の部分は路面に深く食い込んじまっている。

 ・・・主よ! 助けて下さい! こいつを引っ張りだせるだけの力を下さい。頼みます!・・・

 その時、男がうめき声をあげた。まだ息がある。俺は深呼吸すると、鋼鉄の支柱と、半分路面に食い込んだミラーを掴み、渾身の力を込めて持ち上げた。信じられねえ! 全部持ち上がったんだ!

 ・・・ジーザス! お願いです。この男を炎上する車から出させて下さい!・・・

 俺は男に叫んだ。「今、助けてやるから俺の言うとおりにしてくれ! いいな!」 男は両腕が体の両側にぴったり押し付けられていたが体を動かし始めた。「そ、そうだ! 体をくねらすんだ!」 窓から男の体を何とか引っ張り出した。

 ・・・主よ! 燃料タンクが爆発します。それまでに脱出させて下さい。・・・

 男を抱え起すと、そいつはつまずきながら自力で歩き始めた。だが血まみれで、服は黒く汚れ、ガラスの破片がつき刺さっている。完全にショック状態で、途端に草むらに倒れ込んでしまった。もっと離れなければ。

 その時容易ならざる事態にはっと気がつき、思わず空を見上げた。南風で、けっこう強かった。ということは、炎と煙が俺達の方角に押し寄せていてもおかしくなかった。奴を燃え盛る車から引っ張りだすとき、当然俺の方に流れてきたはずだ。だが、そうではなかった。煙は渦巻きながらまっすぐ上に昇っていたんだ。それからトラックと俺達のはるか上で虹みたいにアーチを描き・・・先端はハイウエイの真ん中に届こうとしていた。この状態がいつまでもつだろうか?

 俺は無我夢中で男をもう一度抱き起こした。燃料タンクがブッ飛んだのは45m程離れたところにやっとたどり着いた時だった。トラクタートレーラーが燃え、みるみるうちに灰になっていく。まるで乾いた紙束みたいだった。その瞬間、黒煙と炎が当然流れるべき方向にどっと押し寄せ、ほんの数秒前まで俺達のいたあたりが燃え上った。

 「万能の神よ、感謝します!」

 不意に群集がどこからともなく現れ、燃える草を叩き消しながら俺達の周りに群がってきた。他のトラックの運転手や、事故を見て車を止め、出てきた連中だ。遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

 誰かが救急箱をもって来た。他の連中は男のシャツに突き刺さったガラスの破片を抜いたり、手当てを始めている。やがて救急車が到着。ついでハイウェイ・パトロール、消防車も・・・。これで俺の役目は終わった。

 自分のトラックに戻り始めた時、見物人の一人に呼び止められた。「おい! お前さんはあの男の命の恩人だ! あのトラックに近づくだけのガッツがあったのはお前さんだけだった。いつブッ飛ぶかと、みんなビビってたんだ。」 

 ほんの一瞬考え、俺は笑ってこう言ってやった。「俺にガッツがあるって? あんたが今話してるのはほんのちっぽけな蜘蛛にもビビってた男なんだぜ。」

 首を振りながらさらにこう言った。「ほめてもらいたいとも思わねえ。俺はただジーザスにしっかりつながっているだけさ。ジーザスは、助けが欲しい時には、いつもそばにいて手を貸してくれる。だから、今も俺を助けに行かせ、力まで与えて、幾つか奇跡をやってくれた。全部・・・主のお陰なんだ・・・。」

 

  ―――――――――――――――――

 

話し合いのポイント

 

この出版物のそれぞれのストーリーを読んだ後で、以下に挙げた質問から幾つかを選び、それについて話し合うと良いでしょう。ストーリーを一つ読む毎に、必ず質問を全部したり、話し合わなくてはいけないということはありませんが、よく当てはまり、助けになる質問を選んで話し合って下さい。

 1.このストーリーに出て来る人が、そのような困難な状況に陥ることを防ぐために、何かできたことがあったでしょうか?

 2.このストーリーに出てくる人が、起こったことに対して、ある反応をしたわけですが、同じことが別の人に起こったなら、その人はどんな反応をすると思いますか?

 3.このストーリーを読んで、あなたが受けてきた訓練や教育や指導が役に立っていると感じましたか? 話し合ってみて下さい。

 4.同じ事が自分に起こったら、どのように反応するでしょう? 似たような状況に置かれたら、どのように行動すべきだと思いますか? 神に何をするようにと祈って求めますか?

 5.このような状況からどんな教訓を学べるでしょうか?

 6.その人達にそのようなことが起こるのを神が許されたのは、何故だと思いますか?

 7.これらのストーリーの中で、何か理解できないことがありますか?

 8.このストーリーで主は奇跡をされましたか? もしそうなら、神は、このストーリーに出て来る人達の人生で、奇跡をどのように使われましたか? それによって、彼らの人生は変わりましたか?

 9.このストーリーの中で、どんなふうに祈りが答えられたか、話し合って下さい。

 10.このストーリーを読んで、神は困難で危険な状況や、ほとんど不可能に見える状況でも、助けてくれるという信仰が深まりましたか?

 11.あなたが誰か他の人の命を救うために、主が奇跡をされたという経験がありますか? あるなら、どんなことですか? それによってあなたの人生に対する見方や、主や他の人達との関係が変わりましたか?