クリスチャン・リーダーシップ・訓練プログラム

CLTP20

 

力と保護!

実話集:神が危機を救う!−パート14

9歳以上向け。それより年下の子供には、適切と思う物語を大人が選んで読んであげて下さい。)

 

新生児室のクリスマスイブ

 

スー・モンク・キッド

 

クリスマスイブのことです。小児病棟は静まり返っています。看護婦の私は今日が当直日でした。机の前に座り、壁に飾ってあるプラスチックのヒイラギの葉をぼんやりと見つめました。「本当についてないわ。」 行きそこねたクリスマス・ショッピングやまだ作っていないクッキー、皆でクリスマスの賛美歌を歌うキャロリングのことが頭に浮かびます。「不公平よ。クリスマスイブに当直なんて!」

  それから、重い足取りで寂しい廊下を歩くと新生児室の前で立ち止まり、またため息をつきました。そこにも、野暮ったいプラスチックのヒイラギの葉がとめてあります。新生児室には、生まれて数週間の小さな赤ちゃんが一人いるだけでした。呼吸器感染症にかかっていましたが、良くなってきているようです。

  「メリークリスマス。」 ベビーベッドの横に立っていた看護助手が挨拶しました。ずっとその赤ちゃんに付き添っているのです。

  「せっかくのクリスマスイブなのにね。」と私がつぶやき、部屋の向こう側にある体温表にざっと目を通していると…。

  「大変、呼吸が止まっているわ!」 看護助手が叫びました。

  私がベッドに駆けつけると、赤ちゃんはぐったりして、口の周りが青黒くなっています。弱々しい鼓動が聞こえますが、息はしていません。「宿直の先生と呼吸器専門の先生を呼んできて。早く!」と、私は叫びました。

  時が刻々と過ぎていきます。赤ちゃんの気管を吸引器できれいにしてから、あごを持ち上げ、小さなプラスチック製の気管内チューブを挿入しました。「早く、早くして!」 私は心の中で叫び続けました。エアバックを気管内チュープに取り付け、酸素を送り始めました。もう一つの手で聴診器をあてて鼓動を聞きましたが、まるでネジ回しの時計が止まりかけているかのようです。

  新生児室のドアが勢いよく開き、二人の医師と看護婦がもう一人、そして臨床検査技師と呼吸器専門医が入ってきました。心電図の音が鳴り響く中、緊急措置の注射や心臓マッサージ…私達はベッドの周りであわただしく働きました。しかしその動きも徐々にゆっくりになってきました。医学的にできる事はやり尽くしたのです。でも赤ちゃんは身動き一つせず、ただ人工呼吸器によって胸が上下に動いているだけです。

  病室は静まり返りました。誰もが赤ちゃんのことを思って必死でした。この弱った赤ちゃんが自力で呼吸する以外、どうしようもありません。「主よ、この子を助けて下さい。」と、私は祈りました。

  「息をするんだ。」と、医者が言いました。「頼むから息をしてくれ!」

  「神様、この子が息をするように助けで下さい。」看護婦が私の隣りでささやきました。

  誰もが祈るような表情で赤ちゃんを見つめていました。祈りが希望となってベッドを取り囲んでいるかのようでした。

  すると突然、喉に何か詰まったような音がし、次に咳が聞こえ、小さな泣き声があがったのです! 人工呼吸器は外され、全員が息を飲んで、赤ちゃんをじっと見つめました。赤ちゃんは手をぎゅっと握ると、上にあげて動かし、自力で呼吸しました。

  私はあふれる涙を隠そうと、後ろを向きました。自分が素晴らしい奇跡の場にいたのは確かです。今日はクリスマスイブで、この男の赤ちゃんは生きているのです! かけがえのない生命という贈り物が、ベッドの周りにいた人達以外の「偉大な誰か」によって、この子の足元に置かれたのでした。新生児室にイエス様の存在がはっきりと感じられました。この特別な夜に、主は、世界中の赤ちゃんたちをことさら近く見守って下さっているのではないかと思えてきました。そう思った瞬間、どう説明していいかわかりませんが、私の心は深く不思議な方法で主に引き寄せられたのです。

  誰かが後ろから袖を引きました。振り向くと、病棟の事務員でした。「この子の両親が来ていますよ。私が止める前に窓越しに新生児室の様子を見てしまったんです。とても動揺しています。」

  元気そうに足を蹴っている赤ちゃんをもう一度見てから、待合室にいる両親の所に行きました。二人は互いの手を握って、窓から夜霧を見つめていました。

  「お子さんは危機を乗り越えましたよ。もう大丈夫です。」と、私は言いました。

  「じゃあ、生きているんですね?j と、母親が聞きました。頬にあてられた手が震えています。

  「しっかり生きていますよ。」

  涙が母親の目にあふれました。父親の目も、涙で光っています。「ありがとうございました。」 声を詰まらせながら言いました。「本当にありがとうございました。」

  「皆さんは、素晴らしいクリスマスプレゼントを下さいました。赤ちゃんの命です。」と母親が言いました。

  私はまばたきして涙を払いましたが、言葉が出ません。クリスマスプレゼントをくれたのは、息子さんの方だったと言いたかったのに…。この赤ちゃんは特別な方法で私の心に触れたのです。私がイエス様の元に戻れるように、つまりクリスマスの本質である方の元に戻れるようにしてくれたのです。

 

  ――――――――――

 

「本物」のプレゼント

アレキサンダー・ネス

 

15歳の頃、私は両親と14人の兄弟姉妹と共に、カナダのアルバータ州ノースポール近くの農場に住んでいた。町と呼べるような場所は、一番近い所でも百キロ以上離れていた。自給自足の生活で、衣類も自分達で作り、手袋や靴下も羊の毛を刈って作った。

  大恐慌の頃で、生活は苦しかったが、金では買えない豊かさがあった。春にはよく、種蒔きのために畑を耕しながら、すきで掘り返される肥えた土に目をやったり、まぶしい青空に舞う鳥を眺めたりしたものだ。何もかも忘れて歌いたい気持ちになったし、実際よくそうしたものだ。

  父は農業のかたわら雑貨店を経営していたが、日曜は別だった。バプテスト教会の牧師役を務めていたため、毎週日曜日には家族全員が仕事も遊びもやめて教会で4時間過ごしたのである。

  私も牧師になることが父のたっての願いだったが、私はそんなのはまっぴらだと思っていた。意気盛んな私は、神とは無縁の生活を送っていたのだ。

 クリスマスには、家族そろって特別な料理やゲームを楽しみ、愉快に過ごしたものだ。しかし私が思うような「本物の」プレゼントは一度もなかった。ただ小さな紙袋に菓子とオレンジ1個とか、干しぶどうとナッツが入っていただけである。時々10セント硬貨、また豊作の年には25セント硬貨が1個入っていることもあった。

  さて1936年のクリスマスが近づいた頃、私は今年こそ違ったクリスマスにするぞと決めていた。一儲けして、みんなのために店で買った本物のプレゼントをあげたかったのだ。25歳の義理の兄メトロを説得して、北の荒野まで行き、プリムローズ潮の魚を捕って来ることにした。聞くところによると、今年は、氷を割って網で魚を捕っており、いつもより沢山捕れるそうだ。だから、クリスマス休暇用の食糧を買い込む買い物客にそれを売ろうというもくろみだった。

  稼げるお金の事を考えて、私は大喜びだった。30ドル、40ドル、もしかしたら50ドル稼げるかも知れない。50ドルと言えば、このご時世では大金だ。今年は小さな茶色の紙袋とはおさらばだ!

  だが父は言った。「行ってほしくないな。こんな天候で、一度も行ったことがない場所だ。馬は疲れているし、お前も馬も危険な目にあうかも知れんぞ。今でも何とかやっていくだけの食糧も金もあるじゃないか。」

  しかし私は聞く耳を持たなかった。危険など考えもつかない。それにただ「何とかやっていく」など、もう沢山だ。私は、すぐに帰ってくる(「金持ちになって」と心の中で思った)と父に約束し、メトロと旅の支度をした。メトロは二連ぞりと馬を準備した。私は御しやすい赤毛の去勢馬のトムと、優しい灰色の雌馬のクィーンを二連ぞりのシャフトにつないだ。トムもクィーンも名馬というイメージではないが、どちらも良い馬で働き者だった。この二頭なら今度の仕事を立派にやってくれるだろう。

  というわけで私通は出発した。向こうに着くまで五日はかかる。昼は短く、夜は長かった。深い所で雪は60センチも積もっていたし、枝がからみ合っている低い松やでこぼこの岩が突き出た広大な氷原を通るので思うようには進まなかった。夜にはキャンプして交替で眠った。どちらかが起きていて、火の番をしたり、オオカミを寄せつけないようにするためだ。オオカミはいっも私達を狙っており、静まり返った月夜に遠吠えが響いた。

  五日目の夕暮れにやっと目的地に着いた。プリムローズ湖だ。プリムローズ(桜草)という名前を聞くと、柔らかな花とひたひたと寄せる青い湖水を連想するが、今は、凍ってダイヤモンドのように堅く、真っ白に輝く湖面が何キロも広がっている。

  他にも大勢の人がいたのでがっかりした。皆、同し事を考えたのだ。メトロと私は急いでそれに加わった。そして数日間、湖畔の漁師小屋で漁師達と眠り、馬は毛布で覆って古い丸太小屋に入れた。

  私達はまる一週間働きづめだった。厚さ15センチもある氷を割って、餌を水中にぶらさげ、引っかかった魚を網にすくい入れた。退屈で骨の折れる仕事だったが、カワカマスやコクチマスやパーチでそりが一杯になるのを見て、私達は内心ほっとした。

  ついに氷を後にして帰る時が来た。出発の準備をしていると、ズシッという純い音が遠くで響いた。雷だろうか? 私は急いで馬をそりにつなぐための接続ピンをはめた。

  私はトムとクィーンの脇腹を軽くたたいた。どちらも疲れ切っている。だが家まではもつだろう。余分な仕事をさせない限り大丈夫だ。

  そりに乗り込んだ時には、帰りたい一心だった。自分でもわからないが、何か悪い予感がしていたのだ。

  「しばらく氷の上を通ろう。その方が簡単だ。」メトロは手袋をはめた手を振ると先に出発した。私も馬を走らせ、メトロの後に続こうとした。荷物が重いのでそりがきしむ。

  岸から四百メートルほど行くと、これから漁に行く二人の男達に会った。「漁はどうだい?」「もう大したことないよ。先週大勢来ていたから。」メトロが叫び返した。

  その瞬間、そりが揺れ、さっきの鈍い音が聞こえた。だが今回は雷ではないとわかった。氷が割れる音だ!

  突然、私の下の氷が崩れ、動き、急に傾いた! メトロと私と空っぽのそりに乗った男達との間に水が押し寄せた。男達はさっと向きを変えると、馬をむち打って岸に引き返した。

  メトロの馬は氷の割れ目のすぐそばにいたが、メトロが夢中で馬たちにむち打つと、一気に割れ目を飛び越えてメトロとそりを引っ張り、氷上を疾走して岸に向かった。

  私は立ち上がって、おぴえる二頭の馬にむちを振るった。私達が乗っていた浮氷が沈み始めた! 「急げ、トム、ほら、クィーンも!」 もっと高くなっている堅い表面の所まで行かなくては。私達が乗っている氷はどんどん沈んでいき、今では全体から25センチほども低く、しかも素早く割れ目が広がっている。前に傾いていて、今にも転覆して冷たい水中に投げ込まれそうだ。

  二頭の馬が恐怖で暴れ出した。後ろ足で立っていななき、冷たい水が蹄(ひづめ)まで上がってきているというのに頑として動かない。

  私は必死でそりの接続ピンを抜こうとした。荷物を離したら、何とか馬も自分も助かるかも知れない。その時、私は大声で叫んだ。「神様、助けて…お願いです、神様、僕を助けて!」

  足元がぐらっと揺れた。目を上げると、数分前には疲れ切ってどこへも行けないように見えたあの穏やかなトムが、氷の割れ目を越えて、より高い場所へと突進して行くではないか! 一瞬にして馬があんな底力を出すのを見たのは、後にも先にもそれが最後だった。トムは、クィーンと私と荷物がどっさり乗ったそりを引っ張った。トムがもっと高い氷面にのぼると、沈みかけていた氷のかたまりがほんの一瞬浮き上がった。安定した場所へそりが何とか滑れるだけの高さに上がったのだ。元のように沈んでいたら、私達は割れ目を越えられなかっただろう。

 トムとクイーンは岸まで全速力で駆け出した。その間ずっと、私はしっかりとしがみついて神に祈っていた。目の前にいるのは、もはや灰色の雌馬と赤毛の去勢馬ではなく、恐ろしさで無我夢中で逃げる二つの旋風(つむじかぜ)だった。二頭の馬は岸を蹴って、でこぼこした石地の上をガチャガチャと音を立てて走ったので、そりはほとんど壊れんばかりだった。「どうどう、トム、クィーン。落ちつけ。もう大丈夫だよ。もう安心だ。」 馬が止まると、私はそりから転がるように下りて二頭の馬の首を抱きしめた。トムはまだ震えていた。「もう大丈夫だよ。」 私はトムを軽くたたいて言った。「どうして、あんなすごい事がトムに出来たんだろう?」 そう言いながらも、答えはわかっていた。

  神に助けを求めて叫んだ時、神はそれを聞いて下さったのだ。すると、おびえていたトムが一目散に跳ね上がり、私達を岸まで運んだのだ。

  五日後、家が近づくにつれ、何と言われるか心配になった。父は危険だから行くなと言っていた。父の言った通りだった。約束した日よりも何日も帰宅が遅れ、馬は死にそうになり、そりはひどく傷んでしまった。おまけに、プリムローズ湖に大勢押しかけていたから、今頃市場に魚がどっさり並んでいるのは明らかだ。一儲けしたどころか、誰もほしがらない魚を持って帰った疲れた少年でしかなかった。おまけに溺死寸前にまでなって。

  ようやく大きな丸太造りの農家にたどり着いた時、私は穴があったら入りたいような気持ちだった。みんなが飛び出してきた。母は私達の話を聞きながら、あきれた様子で首を振っていたが、「無事に帰れてよかったわ。」と言うと静かに涙を流した。

  父はじっと私を見つめていた。どんなに厳しく叱られるだろうかと思っていると、父の目に涙があふれた。私をぐっと引き寄せると、ほっとため息をついた。「お帰り。クリスマスに間にあったな。」

  その年は最高のクリスマスだった! 母は故郷であるウクライナ地方のごちそうを作ってくれた。特別のパン、中には砂糖がキラキラ光っているのもあった。普段は塩味のオートミールがゆしか食べられない子供達にとって、まれにみるごちそうだった。あつあつの蒸し団子には、秋に缶詰にした丸々としたブルーベリーが散りばめられている。ケシの実入りのサクサクした丸パンもあった。もちろん、大きな黄金色の七面鳥もあった。

  親戚や友達がそりでやってきた。凍てつくような寒さの中で、鈴の音を響かせながら。木の香が漂うツリーの周りにみんなが集まった。ツリーは松ぼっくりや自家製の羊毛で作ったふかふかの雪綿で飾り付けられている。父は大きな家庭用聖書からキリスト降誕の物語を読み、それから祈った。御子イエスをこの世に送って下さったことを神に感謝し、父自身の子供達、すなわち私達15人一人一人に神の祝福があるようにと。「そして神よ、何よりもアレックスを無事に戻して下さってありがとうございます。」

  何年か後、私は自分の人生を完全にイエスに捧げ、福音伝道師としてイエスに仕えるようになった。

  あのクリスマスに、私は沢山の贈り物をもらった。いつも通り、茶色の小さな紙袋がみんなに配られたが、私にとっては宝だった。黄金と乳香と没薬(もつやく)でさえ、こんなにありがたいとは思わなかっただろう。それまで私達がどんなに豊かで恵まれた生活をしているかを知らなかった。貧しいだけと思っていたのだ。

  しかし、そのクリスマスの最高のプレゼントは、沈んでいく氷の上で危機一髪の私に神から与えられた。神は、日曜日の楽しみを私から奪うだけの厳しい存在ではなく、生きていて、氷が割れて必死にもがく少年をも助けるほど気づかっている方だという事を教えて下さったのだ。あれから長い歳月がたったが、その贈り物は私の心に今も生き続けている。

 

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氷雪の世界

ステイープ・スマート

 

  1981年のクリスマス・イブに、5人を乗せた小型飛行機が、アメリカ、コロラド州ロッキー山脈上空で消息を絶ちました。最も険しい山岳地帯の尾根に墜落したのです。操縦していたのはダラスの農産会社重役のギャリー・ミークスで、他に妻のパットと息子のアーニ一(18歳)とダレン(15歳)、そして一家の友人であり、元仕事仲間のステイープ・スマートが乗っていました。一行はアスペンにスキー旅行に行く途中で、突然エンジンか不調になり、不時着しました。さいわい全員助かったものの、パットは重症を負い、ステイープは意識不明でした。そこでギャリーは一人で救助を求めに出て行きました。24時間以上たってステイープば徐々に意識を回復しました。その後に起こった事をステイープばこうつづっています。

  金曜日。クリスマス。夕方になってようやく頭がはっきりしてきた。壊れた飛行機の窓から外を見る度に、ただ悪夢を見ているだけのように思えてくる。冷たく威圧的な岩壁、ごつごつとした露岩、そびえ立つ野生の松が風雪のベールの向こうにぼんやりと見えている。しかし、客室部で、不安な表情のパットとアーニーとグレンが凍るような寒さにぶるぶる震えているのを見ると、これが現実であると実感する。だが、墜落の時のことは全く覚えていない。わかっているのは肩が外れていて、寒く、窮屈で、痛くてたまらないことだけだ。

  だが、パットのほうが重傷で、背骨が折れているかもしれないと言っていた。アーニー達は大丈夫のようだ。昨日は外に出て、墜落で開いてしまった後部ドアの周りに雪をいっぱい積み上げたと言っていた。ドアの前にスーツケースも何個か置いたので、結構、密閉状態になっている。これで幾らか外の冷気も入ってこないだろう。幸運が重なって、またギャリーが巧みに雪だまりに胴体着陸してくれたおかげで、機内は、生き延びるのための格好のカプセルになっていた。少なくとも今のところは。食糧はなく、一握りの雪がクリスマス・ディナーだった。スキーウェアーも何もかも先に送っていたので、皆、街着に軽いコートを引っかけただけだ。ただアーニーとグレンは冬用のジャケットとブーツを持って来ていた。

  我々が墜落したことを誰か気づいているだろうか? だがそれが何だというのか。今は、誰かが発見してくれるのを待つしかない。真っ白な雪に半分埋もれた白い飛行機を。

 

  土曜日。昨夜はひどかった! たちまち辺りが暗くなったかと思うと、15時間も夜が続いた。経験したこともないほどの真っ暗闇に包まれて。10分おきに時計を見ながら、夜は一体いつ明けるのだろうか、本当に明けるのだろうかとさえ考えていた。強風が木々の間を吹き抜けて、耳をつんざくほどの鋭い音を立てていた。おまけにこの寒さときたら…。皆、眠ろうとしても頼繁に目が覚めたので、たいていは幾らか言葉を交わしたり、ギャリーのために祈ったりした。ギャリーが無事に救助されたよう祈ったが、そうなっただろうか? 私達は不安を胸にじっと時間を見つめていた。

  吹雪は昨日よりもさらに激しくなった。アーニーとグレンは思い切ってギャリーを探しに外に出たが、何も発見できなかった。一度は「ポキッ」という音が聞こえたので、はっとしてそちらに目をやったが、近くの木の枝が折れただけだった。アーニー達は合図のために、木を燃やそうとしたが、無情にも強風にかき消された。

  しかし、今日は素晴らしい事が起こった! 食べるための雪を詰めようとしてスーツケースの中身を出していたアーニーが、聖書を見つけたのだ。今まで聖書を見てあんなに喜んだことはなかった。四人で代わる代わるお気に入りの章を読んだ。おかげで夜は朝よりもみんな元気だった。

 

  日曜日。昨夜は、疲れ切っていたのに、うつらうつらしては、すぐに目が覚めた。一度は、目を覚ましたら、全身の感覚が麻痺しているではないか。私は猛烈に手足をさすって何とか感覚を取り戻した。だが感覚と同時に痛みも戻ってきた。特に肩はひどかった。耐えかねた私はついに歯をくいしばって肩を引っ張った。すると驚いたことに、外れていたのがちゃんと元に収まった!

  今朝、2機の飛行機が飛んでいたが、音だけで見えなかった。吹雪は少しもおさまる気配はない。機内でのささいな事がどれも、生命の限界に近づいていることを暗示していた。足の感覚が純っているのからもわかる。アーニー達も無口になってきた。もう雪について冗談も言わなくなったし、食べることさえやめてしまった。アーニーは、客室の内壁でますます厚くなっていく霜のほうが雪よりもおいしいことを発見したので、クレジットカードでかき取った。おかげで窓からの視界を失わないですんだ。それが外界との唯一の接点だった。

  言葉数は少なくなったものの、今日はみんなで寄り添っていた。アーニーが聖書を出してきたので、それを読んだ。私達はまさに、絶望のどん底で神に呼ばわっている詩篇作者のダビデの心境だった。

  こんな状態でもエネルギーを失わない若者達の、長いながらもきちんと整っている茶色い髪と、きらきらした焦げ茶色の目を見る度に、ギャリーのことを思わずにはいられなかった。だが、ギャリーのことや友人達のこと、今の辛い状況のことばかり考えるなら、耐えきれなくなって泣いてしまうだけだ。重いため息に、身も心も沈んでしまう。4人ともそれと戦っていた。ただ互いに固く抱きしめ合うことだけが救いだった。そんな単純なことが、寒さに震える体を暖め、力づけてくれた。

 

  月曜日。夜が明けてすぐだった、遠くで低い振動音を聞いたのは。ブルンブルンという音がだんだん近づいている。間違いない、ヘリコプターだ! ダレンが最初に見つけた。私達のほうに近づきながら、高度を落とし、私達の飛行機から800メートルくらいしか離れていない谷底に下り始めた。

  「着陸するぞ! 僕たちを見つけたんだ!」アーニーが叫んだ。喜びが全身を駆けめぐった。大きなオリーブ色のヘリコプターから7人、8人、9人が降り立ち、飛行機に向かって林の中を歩いてくる。私達は神に感謝しながら抱き合った。テキサスでいつもやるように、歓声をあげ、歌い、踊った。

  一旦その大型ヘリコプターは飛び立ち、私達は狭苦しい座席で興奮さめやらぬまま、さっき降りた救助隊がやって来るのを今か今かと待っていた。こちらから出ていくことはできなかった。凍り付いた足で胸まで埋まるほどの積雪の中を歩くのは無理だった。「とても時間がかかるのね。何とかして合図を送れないからしら。」とパットが言った。叫んではみたものの、強風がさらっていった。

  「暗くなってきた」とグレンが言ったのとほぼ同時に、ヘリコプターが朝と同じように山の上を飛んできた。そして、小さな谷の同じ場所に雪をけちらしながら着陸した。救助隊員がヘリコプターに次々に乗り込んでいくのを、私達は目を大きく見開いて見ていた。初めから最後まで! 必死の叫び声も私達の耳に空しく響くだけだった。ヘリコプターは舞い上がり、夕闇の中に消えて行った。私達を見つけもせずに。ここにいることさえ知らないのだ!

  その時味わった失望は言葉ではとても言い尽くせない。救出される日をあれほど待ち望んできたのに、その願いがいとも簡単に消えてしまったのだ。四人ともどっと涙が出て、ひとしきり泣いた。しかし、1時間ほどして涙も止まった頃に、アーニーが聖書を出したので幾らか読んだ。まさに私達にぴったりの言葉だった。「わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安え得ません。われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。彼らはあなたに呼ばわって救われ」(詩篇22:2、4−5)

  私達は信頼し続け、その救いを待たねばならない。

 

  月曜日の夜。一生で最良かつ最悪の夜だった。一晩中、風が薄気味悪い音を立てていた。誰も眠れず、少し眠っては目が覚めた。それにダレンを眠らせないよう、誰かが起きていなくてはならなかった。ダレンの体温が急激に下がっていたので、一旦眠ったらもう二度と目覚めないのではと心配だったからだ。だから、たいてい話しをしていた。祈ったり、心の中を打ち明けたりもした。今夜は皆で、「あなたが望まれる事は何なりとして下さい」と神に祈った。命を完全に神の御手に預けたのだ。

  それは私にとって素晴らしい転機となった! 遭難する前は、祈ることをやめてしまっていた。しょっちゅう神を無視してきたのだから、今さら神に語りかけるなど虫が良すぎると思っていた。神に助けを求めるなら、自分のありのままの姿を直視せざるをえなくなり、心が痛むので、そんなことは絶対したくなかったのだ。だが今は、神の存在を身近に感じるようになった。聖書の古い物語さえもだ。私は、キリストのたとえ話に出てくる放蕩息子だ。身を持ち崩し、「贅沢な物は何もいりません、ただ最低限の物さえ頂ければ…」と疲れ果てて戻ってきたあの放蕩息子だ。私はただ、天の父との関係を取り戻したいと願った。

  今夜は信仰について沢山語り合った。生きている目的は何か、どうして人生には山ほどの障害があるのか?

  アーニーが尋ねた。「ねえ、スティープ、今まで生きてきて何を発見したの? 辛い時はどうやって乗り越えた? どうしてなんだろう。どうして辛い時があるんだろう?」

 「どうしてかわからないな。とにかく次々にやってくるね。だが、一つ言えるのは、辛い時を後で振り返ってみると、何かを学んだのがわかる。何か良い事を学んだんだ。」

  「だったら、この経験からどんな良い事が生まれたんだろう?」

  アーニーの気力には驚いた。不満めいたところは一切なく、心の奥底から出た質問だった。ここで皆が徐々に凍死しつつあるのはわかっているのに、それでも詩篇作者のダビデのように一抹の希望にしがみっいていた。「アーニーに生きるチャンスを与えてやれたら」、心からそう願ったが、私にはできないことだった。「アーニー、これを話しても君にとって何か意味を持つかどうかわからないが、今晩、自分達の命を神のみ手に委ねた時に、僕は今まで味わったこともないような心の安らぎを覚えたんだ。だから、何が起ころうとも、神は絶対に自分を支えていて下さるとわかった。それは良い事なんだ。」

  今晩私達の間に芽生えたこの暖かさは、身を切るような寒さをも寄せつけなかった。心の内を話している内に、神にだけでなく、互いに対しても信頼が深まった。私達は父であり、夫であり、友人である人がいつまでたっても戻らぬことにも涙した。家族を思い、友人を思って泣いた。しかし、ほとんどは、私達がついに理解し始めた神の祝福に対する喜びの涙だったのだ。

  不気味な風の音が止まった。早朝、山に、そして私達に、平穏が訪れたのだ。

 

  火曜日。今朝は墜落以来初めて陽光が差し込んだ。しかし、2匹のりすを見た以外は生き物の気配はない。しんと静まり返った平和な世界。しかし、寒さは相変わらず厳しかった。

  パットが最初に昨夜の質問を繰り返した。「スティープ、どうして私達はこんな目に遭っているの。どうしてこんなに辛い事ばかりなの。」パットの背中は相当痛んでいたし、私達も零さがこたえていた。

  何と答えてよいかわからなかったが、ついに、「聖書のヨブの話は助けになるかもしれない。今の僕達にはヨプが苦難について言ったことがきっとよくわかるだろう。」と答えた。そこでパットはヨプ記の章を黙々と読み始めた。

  おもむろにパットが聖書を閉じた。読み終わったのだろう。何を見つけただろうか。どう思っただろう…。

  待てよ! 何かが山から降りて来るぞ。人じゃないか! 一体どこから来たんだろう? 何も聞かなかったぞ! 飛行機の音もヘリコプターの音も。こっちが見えているのだろうか? そうだ、確かにそうだ! 手を振りながら、「ここだ、ここだ」と叫んでいる! もっといた。2人、3人、4人。雪の積もった尾根を駆け下りてくる。「ああ、神よ、感謝します、神よ。この五日問、あなたは私達を見捨てられませんでした。決して、決して見捨てられなかったのです。これからもそうだとわかります!」

  一人が客室のドアから顔を出した。

  「やあ」と言って、柔らかそうな白いジャケットから雪を払い落とした。「やっと見つかった。本当に良かった!」

 

     ◆

 

  ステイープとパットとアーニーとダレンのために、コロラド州史上でも最大規模の捜索が行わわましたが、発見できぬまま一旦打ち切られました。そして捜査を再開する前夜、天候が良くなったら、最後にもう1度だげ捜索を行うと決定していました。そして翌火曜日に晴れたので捜索は決行されました。4人を発見したのは、ボランティアで捜索隊に加わっていたオレゴン州の医学生ケン・ザレンで、あと1時間遅れていたら、日没で発見できなかったところでした。救助隊は、絶望と思わわていた4人が無事であることに驚き、生存者ともども喜びの涙を流したのでした。

  ヘリコプターのパイロッは、暗闇と、始まった吹雪と戦いながらも、墜落現場近くのぐらぐらする巨石の上にヘリコプターを着陸させたので、パットと息子達はその夜に下山できました。スティープと他の救助隊も乗せようとしましたが、猛吹雪でほとんど視界がきかない状態になりかかっていたので断念し、翌日、吹雪の中で6人が、9時間半かけて、スティープをそりでおろすのを助けました。

  4人は無事下山しましたが、山で再び見出され、新たにされた信仰の物語はそこで終わったわけでばありません。人生の危機を生き延びるのに、この4人は信仰を切に必要としていました。そしてこの物語は、信仰そのものと同様、成長し、前進し、励ましや心の支えとなっているのです。

  ギャリーを失ったこともあって、彼らが精神的にも肉体的にも回復するのは、辛く、長い道のりでした。必死の創作活動にもかかわらず、ギャリーの遺体は9月になって発見されたのでした。しかし信仰から生じる勇気と、神か共にいて下さるという確信は弱まることなく生き続け、心身ともにいやされる鍵となったのです。

  今、スティープとパットとアーニーとダレンの信仰は強まり、深まり、カの源となっています。スティープばこう語っています。「あの事故は私にとって新しい人生のスタートだった。信仰という尊い宝石に比べれば、あの時の苦難はとるに足りない。」

 

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ディスカッションのための質問

 

  この出版物のそれぞれの物語を読んだ後で、以下に挙げた質問から幾つかを選び、それについて考え、あるいは話し合うというのはいかがでしょうか。必ずしも全部の質問を取り上げる必要はなく、その物語にふさわい一質問を選んで、理解を深める助けとして下さい。

 

  1.この物語に登場する人は、起こったことに対してある反応をしたわけですが、他にどんな反応の仕方があると思いますか?

  2.この物語を読んで、あなたが受けてきた訓練や教育や指導が役に立っていると感じましたか?

  3.同じ事が自分に起こったら、どのように反応すると思いますか? 似たような状況で、どのように行動すべきだと思いますか? 神に何をするように祈って求めますか?

  4.これらの物語に登場する人達は、もっと証しになることもできたと思いますか? そう思うなら、どのようにしてですか?

  5.このような状況からどんな教訓が学べるでしょうか?

  6.その人達にこのような事が起こるのを神が許されたのは、なぜだと思いますか?

  7.これらの物語の中で何か理解できないことがありましたか?

  8.この物語の中で主は奇跡を行いましたか? それなら、神はこの物語に出てくる人達の人生で奇跡をどのように使われましたか? それによって、彼らの人生は変わりましたか?

  9.この物語には、どのような具体的な祈りへの答がありましたか?

  10.この物語を読んで、神は困難で危険な状況や、ほとんど不可能に見える状況でも助けてくれるという信仰が深まりましたか?

  11.あなたか、誰か他の人の命を救うために、主が奇跡をされたという経験がありますか? それは、どんな事ですか? それによって、あなたの人生に対する見方や、主や他の人達との関係が変わりましたか?