クリスチャン・ダイジェスト

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天の楽園

リベカ・スプリンガー著 原題「Intra Muros」より。ゴードン・リンゼイ編集。

1922年初版、クライスト・フォー・ネイションより1992年再版。

 

第一部

 私は、何週間も闘病生活を送っていた。それも、愛する家族や友人達から何千キロも離れた所で。周囲は見知らぬ人ばかり。親切な付添いがついてくれていたものの、病人の看護に関してはまるで素人だったので、行き届いた世話にはほど遠かった。三週間近くも栄養のあるものを口にできず、水分もほとんど取れない状態で、私の体はますます弱り、やせ衰えるばかりだった。遠く離れた家族や友人が無しょうに恋しかった。でも誰も見舞いに来なかった。来れなかったのだ。

 そこは、ケントビルにある家の二階の部屋だった。広く快適な部屋で、大きなステンドグラスの窓が、通りに面したベランダに向かって開いている。私はたいてい窓のほうを向いて横になっていた。なつかしい人々の顔や声が恋しくてたまらなくなると、私は祈った。愛する人達に看病してもらえない代わりに、愛するキリストの存在を感じることができるようにと。そして、私が暗き川を一人で越える時が来たならば、無駄に生き延びることがないようにとも。

 これはむなしい祈りとはならず、素早く答えられた。不安や思い煩いはすべて、着古した衣のように私の足元に落ち、キリストの平安が私を包んだのだ。どんより曇り、寒風の吹きすさぶ朝だった。一昼夜、激しい痛みに苦しんだ後、ふと気がつくと、自分はステンドグラスの窓辺にあるベッドの脇に立っているようだった。誰かが私の横にいる。見上げると、夫の兄だった。夫と仲が良かったが、何年も前にこの世から旅立っている。

「まあ、フランク!」私は喜びの声をあげた。「来て下さるなんて嬉しいわ!」

「わたしも来れて嬉しいよ。さあ、行こう。」 

 義兄(あに)は優しくそう言うと、私を窓へと導いた。振り向いて部屋を見ると、なぜか、ここを永遠に去るのだという気がした。付添人は部屋の隅でストーブのそばに腰掛け、新聞を読んでいる。そして窓際のベッドには、やつれた顔にかすかな笑みを浮かべた白い体があった。フランクに優しく手をひかれるまま、共に窓をすり抜け、ベランダに出て、そこから通りへと出て行った。

 しかし、私は立ち止まり、真剣な顔でこう言った。

「夫のウイルと息子を置いてはいけないわ。」

「彼らはここにはいないよ。何千キロも離れた所だ。」

「ええ、知っています。でも必ずここに来るわ。フランク、二人には私が必要なの。ここにいさせて!」と私は嘆願した。

 すると義兄は優しい笑みを浮かべた。

「ウイルたちが来てからあなたを返してあげる方がもっと良くはないかい?」

「本当に、そうして下さる?」 

 フランクがうなずいたので、私はゆっくりと通りを歩き始めた。しかし、もう夫と息子に会えないかもしれないと思うと、後ろ髪を引かれる思いだった。私は幾度も立ち止まって、今歩いてきた方を振り返った。その度にフランクは、私がまた歩き出すまで辛抱強く待ってくれた。

 とうとう、フランクはこう言った。

「体が弱っているから、抱いて行ってあげよう。」

 私が答える間もなく、立ち止まって、私を小さな子供のように抱えてくれた。私も子供がするように、義兄の肩に頭をもたれかけ、その首に腕を回した。辛く孤独な闘病生活の後でこんなに優しくしてもらうのは、涙が出るほど嬉しかった。

 

楽園

 

 フランクはしっかりとした足取りでどんどん歩いて行った。私は途中で眠ってしまったようで、気がつくと、花が咲き乱れる丘の片隅に座っていた。それはそれは美しい芝生が広がり、あたり一面に芳香を放つ花が咲いていた。その多くは、地上で私が愛した花だった。一目見るなり、植物や花の一つ一つがいかに完璧であるかが見てとれた。

 それに、私が座って眺めている、このかぐわしい自然のじゅうたんといったら、何て美しいのだろう。芝と花がみごとにうねりながら、見渡す限りに広がっている。そして、同じぐらいみごとな木々が繁り、きれいな花と数々の種類の実をつけた枝をたれている。私はそれを見て、パトモス島で聖ヨハネが見た幻や、園の中央に生える、「十二種類の実が成り、諸国民をいやす葉」を茂らせた命の木のことを思った。

 木々の下を、幼い子供達がに三々五々集い、笑い、遊び、楽しそうにあちらこちらを走っている。大人も沢山いた。何人か一緒に、または二人づれで、または一人で歩いていた。しかし、誰もが穏やかさと幸福の雰囲気を漂わせ、別の世界から来たばかりの私にさえそれが伝わってきた。皆、しみ一つない白い衣をまとい、多くは美しい花を身につけるか、花束を腕にかかえるかしていた。その幸せそうな顔と純白の衣を見ると、改めて聖書の言葉が頭に浮かんだ。「この人達は、衣を小羊の血で洗い、それを白く清められた人達なんだわ。」

 

天の家

 

 あちらこちらに、格調高き美しい家があった。木々の間から見えるそれらの家は、一風変わった造りだ。きっと、この魅惑的な地に住む幸せな住人の家々なのだろう。その時、あらゆる方向にしぶきをあげる、きらめく噴水が目に入った。そばには、穏やかで、水晶のように透き通った水をたたえた川が流れている。様々な方角に向かう歩道は、まるで真珠のようで、汚れがなく、清らかで、両脇には、水晶のような水が黄金の敷石の上を流れていた。この光景に息を呑み、言葉を失った私は、ただ「清らか」という一言しか出てこなかった。ちり一つ見あたらず、花も実も傷がなく、腐れたりもしない。すべてが完璧で、すべてが清らかだ。芝生も花もまるで夏のスコールに洗われたばかりのようで、芝生の一本一本に至るまで明るい緑色だった。空気は肌に優しくうららかだが、爽快でもあった。そして陽光の代わりに、南国の真夏の日没のような黄金の輝きと薔薇色の光がさしていた。

「どうだい?」 

 はっと我に返って見上げると、義兄がかたわらに立っていた。私が目の前の光景に見とれている様子を見て楽しんでいたようだった。私は驚きと喜びでいっぱいで、義兄のことをすっかり忘れていた。返事をしようとしたが、神の素晴らしさに圧倒され、こんな自分はこの場所にふさわしくないという思いにかられて、手で顔をおおうと、わっと泣き出してしまった。

 義兄は優しく私を支えてくれた。

「おいで、川を見せてあげよう。」

 川岸までほんの二、三歩のところに来ると、水辺にまで美しい野原が続いていた。そして水中には、川底をおおう色とりどりの小石に混じって、ところどころに、花が咲いている。義兄は川の中に一歩足を入れて、私も中に入るようにと言った。

「でも冷たいわ。」 

 私はおずおずと身を引いた。すると義兄は微笑みながら、「そんなことはないよ。おいで!」と太鼓判を押した。

「このままで?」

そう言いながら、きれいな衣を見おろした。この衣はこの幸福な場所に住む人々のものととても似ていたので、私はそれが嬉しかった。

「そのままでいいんだよ。」

 義兄はまた、笑みを見せた。それに勇気づけられ、私は流れる川にそっと足をすべらせた。すると驚いたことに、水の温度と密度は空気とほとんど同じなのだ。進むにつれて、だんだんと深くなっていった。

「頭まで浸かってしまう。溺れてしまうわ。」

 すると、私が何かおかしな事でも言ったかのように、義兄の目がきらりと光ったが、まじめな口調で、「ここでは、そんなことはないんだよ。」と言った。それがいらぬ心配だということにやっと気がついた私が、澄んだ水の中に完全に潜ると、頭上に波紋が広がっていった。驚いたことに、息ができるだけでなく、水の上とまったく同様に、笑い、話し、聞くことすらできるではないか。

 水から出ようとして、タオルはどうしよう、という思いが浮かんだ。まだ地上の考え方がつきまとっている。それに、自分のきれいな衣がだいなしになりはしなかったかと気になった。ところが、岸に近づき、頭を水面から出して、顔と髪に空気が触れた瞬間、タオルもヘアブラシもいらないことに気がついた。体も、髪の毛も、美しい衣も、水に触れる前と同じくすべすべで、乾いている。

 私の衣は、今まで見たこともないような素材でできていた。柔らかくて軽く、かすかに光沢があって、シルク地に一番近かったが、ただ、それさえもこの美しさには及ばなかった。その衣はゆったりとたれて、私の体に柔らかく優雅にまとわりつき、水につかったことでさらに輝きを増したようだった。

 数歩、歩いたところで、輝きながら穏やかに流れる川を振り向いた。

「フランク、あの水のせいかしら、私、まるで飛べるような気分だわ。」

 義兄は真剣で優しい目でこう答えた。

「水が地上のなごりを洗い去って、今始まった新しい人生にふさわしくしてくれたんだよ。」

「天上の素晴らしさね。」私はささやいた。

「その通りだ。」

 

ついにわが家へ!

 

 私達はしばらく無言のまま歩いた。この不思議な新しい人生がまだ信じられない思いだった。通り過ぎる家々は、この上もなく美しかった。立派な大理石でできており、広いベランダがあって、屋根や丸いドームを支えている柱は、どっしりとしたものもあれば、繊細な造りのものもあった。らせん階段が、真珠と黄金でできた歩道へと降りている。柱で囲まれた壁から笑顔がのぞき、この美しい家々からは、幸せな声が響いてきた。

「フランク、私達どこへ行くの?」 ようやく尋ねてみた。

「家だよ。」義兄は優しく答えた。

「家! 私達に家があるの? 今見ているのと同じような家が?」 

 胸が高鳴り、思わず叫んだ。

「とにかく来てごらん。」 

 そう答えながら、義兄は脇道に入って行った。その先にはたいそう美しい家があった。この上もなく魅惑的な木々が豊かな枝をたれ、そのすき間から、明るいグレーの大理石でできた柱が輝いている。義兄に追いつこうとしていると、なつかしい声が聞こえた。

「一番先にあなたをお迎えしたくて!」

 見回すと、私の古き友だったウィックハムさんのなつかしい顔が見えた。

 感激しながら、私達はしっかりと抱き合った。

「ゆるして下さいね、スプリンガー大佐。」 間もなく、義兄に心のこもった握手を求めつつ、ウィックハムさんが言った。「着いた早々に、こんなふうにおじゃましては申し訳ないとは思ったんですけれど、義妹(いもうと)さんがいらっしゃるって聞いて、待ち切れませんでしたの。でももうお顔を拝見したし、お声も聞いたから、つもる話は後まで辛抱して待ちますわ。時間は永遠にあるんですもの! でも、スプリンガー大佐、後で彼女を連れて来てくださいます?」

「できるだけ早く連れてきますよ。」 

 義兄は優しいまなざしで夫人の目を見つめた。

 温かい握手と、「すぐにいらしてね」という別れの言葉を残して、ウィックハムさんはすぐに私の目の前を去った。

「彼女の家はそれほど遠くない。たびたび会えるよ。すてきな人だ。さあ、おいで。あなたを我が家に迎えるのを待っていたんだよ。」

 そう言って義兄は私の手を取り、広いベランダへと私を導いた。ベランダには珍重で高価な大理石が敷き詰められ、どっしりとした支柱が立っている。柱の間には見事なツタが繁り、その深い光沢のある葉が、見事な色合いで微妙な芳香を放つ花と混じり合っている。どこを見ても美しかった。義兄は私が隅々まで眺める間、待っていてくれた。

「この世のものとは思えないわ。」

 まさにその通りだ、と言って、義兄は大理石の柱の間を通り過ぎ、豪華なポーチへと私を導いた。そこで、美しい象眼模様の床と、ずっと向こうの幅広く、低い階段にまたも圧倒され、言葉に詰まっていると、義兄が私の両手を取ってこう言った。

「妹よ、この天の家へ、心から歓迎するよ!」

「ここがお義兄さんの家? 私も一緒に住めるのかしら?」

 私は少々とまどった。

「いや、これはあなたの家だよ。弟が来るまで、私が一緒に住むんだよ。」

「ずっといらして、ずっと!」 私は義兄の腕にすがりついた。

 義兄は微笑んで、こう言った。

「今を楽しもう。もう決して遠く離れることはないんだよ。とにかく、おいで。見せてあげたいものが沢山ある。」

 左へと曲がり、義兄はあちらこちらに立つ、扉代わりのような美しい大理石の柱をくぐり、長方形の部屋へと私を導いた。入り口に来て、私は目を見はった。この部屋の壁も全部、ぴかぴかに磨かれた、見事な明るいグレーの大理石でできていたが、壁と床は、茎の長い色とりどりの美しいバラでおおわれていた。深紅のバラもあれば、微妙な色合いのピンクと黄色のバラもあった。

 

若い工芸家による至高の芸術

 

 身をかがめてバラに触ろうとすると、驚いたことに、花は大理石の中に埋め込まれているではないか。義兄がこう説明してくれた。

「ある日、この家が建てられている時に、若者達が何人か戸口に来てね、中に入っていいかと聞いたんだ。喜んで招いてあげると、誰の家を建てているかと尋ねられた。それで、あなたのためだと言うと、彼らが『この部屋を飾り付けてもいいですか?』と言うから、どうするのだろうと思いながらも、許可を与えたのだよ。

 若い女の子達は、とても大きなバラの束を幾つも抱えていて、それを床や壁に向かって投げ始めた。壁に当たったバラは皆、驚いたことに、永久に接着されたようにその場に付いた。バラが部屋中に全部投げられると、ちょうど今のようになったのだよ。ただ、その時は摘みたての新鮮なバラだったがね。それから、男の若者たちがめいめい精巧な道具の入った工具箱を取り出したかと思うと、女の子達と一緒に、大理石の床に座り込んで作業に取りかかったんだ。これも高い芸術的感覚を持った者達に伝授された至高の芸術なんだろうね。どうやってしたのかはわからないが、彼らは生きた花を大理石の上に落ちた場所に一本一本埋め込んで、ごらんの通りに保存したんだよ。

 彼らはそれからも何度かやって来て、完成させてくれた。花は枯れたり色あせたりもせず、いつも生き生きしていて完璧だ。それにしても、あんなに楽しくて幸せそうな若者達は見たことがない! 働きながら、笑ったり、おしゃべりしたり、歌ったりしていた。彼らの死をいたむ彼らの友達に、この光景を見せてあげられたらいいのに、そうしたら、悲しむ理由などないとわかるのに、と幾度も思わずにはいられなかった。とうとう作業が終わると、彼らは私を呼んで見せてくれた。私は、その見事な出来ばえと、巧みな技術をさかんにほめた。彼らは、あなたか私の弟のどちらかが来たらまた来ます、と言い残して去ったんだが、きっと他の所でも同じ事をするのだろうね。」

 喜びの涙がほおをつたい、私は、その優しい人達は誰なのかと尋ねた。義兄は、あの朝、初めて来た時には彼らの事を知らなかったが、今は知っていると言い、名前を教えてくれた。それは、私が若い頃に知っていた子供達だった。

 「何て素晴らしい人たち。昔、彼らをかわいがったことが、ここでこんな思いがけない喜びを運んでくれるなんて! この二つの世界のつながりに、私達は何と無知なことでしょう!」

 

楽園でのくらし

地上の人生の継続

 

 義兄が言った。「ああ、そうだね。ほとんどわかっていない。まだ地上で暮らしている間に、日々永遠に向けて家を建てていることに気づいてさえいたら、地上の人生はどんなに違っていることだろうか! 優しい一言や、寛容な思いやり、利他的な行いなどの一つ一つが、来たるべき人生で、永遠の美を築く柱となるんだ。利己的で愛に欠けた人生を送っておきながら、次の人生で優しく思いやりのある人になることなどできない。二つの人生は密に混じり合っているからね。一つの人生からもう一つの人生へとつながっているのだ。それはさておき、さあ、書斎においで。」

 心温まる思い出の場所となるこの部屋を出て、私達は書斎に行った。見事な部屋だ。壁には、天井から床まで、高価で貴重な本がぎっしりと並んでいる。大きなステンドグラスの窓が、通りに面したベランダに向かって開け放たれていた。グレーの精巧な大理石の柱に支えられた、高さ2メートルくらいの半円形の棚の列は、4、5メートルの長さで、広いメインルームまで続いている。この棚が部屋を二分するしきりになっていて、両側とも、奥にはアーチ形の窓があった。そして、その書棚の仕切りが終わったところは、またゆったりしたスペースになっていた。

 アーチ形の窓の脇には机があって、すぐに使えるように全てが整っていた。机の上には、心地よい香りを放つ金の打ち出し模様の入れ物が置いてあった。このかすかな香りには少し前から気づいていた。「弟の机と、弟の好きな花だよ。ここでは、愛する者の趣味や好みを決して忘れないんだ。」

 

地上と天の楽園の類似点

 

 ここに来て一度にすべての詳細に気がついたわけではなく、あれこれと話している内に、次第に気づいていったのだった。まずこの部屋に入るなり、沢山の本があるのがとても意外だったので、思わずこんな言葉が口から漏れた。

「まあ、天国にも本が?」

「あっては、いけないかい? 人間とは、天国での娯楽や任務について、おかしな考えを持つものだね! 体が死ぬと魂までもすっかり変わってしまうと思っているようだ。それは大違いだよ。われわれは、死ぬ前と同じ好みや欲求や知識をこの人生にも携えて来るのだよ。多くの人は長い人生を価値ある知識の追求のために費やすというのに、死んだらすべてが無になり、ここの人生では全く異なった考え方を一から学ばなければならないとしたら、人生はいったい何のためにあるのだろうか。無に帰したりはしないんだよ。さっきも言ったけれど、地上の人生で永遠に向けて家を建てていることに、皆が気づいていたらいいんだが。思考が清ければ清いほど、望みが崇高であればあるほど、大志が高尚であればあるほど、天国での階級が高くなる。試験期間である地上の人生で、自分が学ぶべきことや課せられた務めに真剣に取り組めば取り組むほど、われわれは、それをさらに向上させていき、ここでの完全さによりふさわしい者となるのだよ。」

「でも、誰が本を書いているのですか? この中に、私達が愛読していた本はありますの?」

「もちろん。数々ある。どれも人間の精神や不朽の魂を高めるのに役立った本だ。そして、生前、偉大な思想を抱いていた人達の多くが、このより高い人生に入ると、生涯研究し、わき立つ喜びを抱いて探求してきた主題に対する視野が広がり、高まる。そこで彼らは、自分達ほど才能に恵まれない人達のために、自分が身につけた、より高尚で力強い思想をつづる。だから彼らは、地上にいた頃と同様、ここでも指導者や教師であり続けるんだよ。

 地上で多くの人々の心を高めた偉人が、ここに来るなりペンを捨てねばならないなどということはない。学ぶべき教訓を充分学ぶと、才能に恵まれない、従う立場の者の益のためにそれを書くのだ。この天の人生でも、前の人生同様、指導者は常に指導者なのだよ。様々な思想の指導者や教師なんだ。しかし誰でも、この新しい人生に馴染むにつれ、そういった知識は自然に簡単に身につけられるよ。」

 本に囲まれたこの美しい部屋でしばし休憩した後、義兄は他のすべての部屋に私を案内してくれた。各部屋ともそれなりに完全で美しく、鮮明に私の記憶に永遠に焼き付いた。しかし、一度には説明しきれないので、ただその中の一つの部屋について話そう。二階にある華麗な部屋の円柱の入り口の前には、最も微妙な琥珀の色合いをした、薄く透き通るカーテンがかかっている。それを開きつつ、義兄が言った。

「休んだり、学んだりするための、あなた専用の特別な場所だよ。」

 二階の内部はすべて、一階のようなグレーの大理石の造りではなく、つやつやした感触の立派なはめ込み板で仕上げられていた。それにこの部屋といったら、設計も内装もみごとだ。部屋は長方形で、片側には、そのすぐ下にある書斎の窓に似た、アーチ形の大きな窓がある。この窓の片側には、銀で仕上げられた頑丈な象牙製の机がある。そして、向かい側には本がぎっしり詰まった、同じ素材でできた本棚。後で気づいたのだが、その中には私が大好きな作家の本が何冊もあった。銀灰色のふかふかとしたじゅうたんが床に敷き詰められ、部屋にあるカーテンは、部屋の入り口にあったのと同じ、微妙な色合いと素材であった。家具は象牙で枠組みされ、椅子は銀灰色の、みごとな繻子(しゅす)仕上げだ。クッションと優美なソファの張りもそれと揃いだった。上品な花瓶が幾つか置いてあって、どれもバラがいっぱいに生けられていた。

 

天の楽園の清さと美しさ

 

 このうっとりするような家に少しいた後、開け放たれた窓を通り抜けて、私達は大理石のテラスに出た。芸術的に仕上げられた大理石の階段が、このテラスから木の下の芝生へと優雅に続く。テラスからすぐ手が届く所に、豊かに実をつけた果樹の枝が下がっていた。その朝、テラスに立っていた時に、木には七種類の果実がなっているのに気がついた。一つは洋梨のようだが、それよりずっと大きく、味は比べものにならないほど良い。もう一つは、梨のような形をした果物が房状になっていて、前のものよりも小さく、舌触りと味わいは上等のアイスクリームのようだった。ここでは、最上の食べ物が多種多様に、作業も世話もせずに手に入るのだな、と思った。後になって、全くその通りだとわかった。義兄が幾つかの種類を集めてきて、食べてごらんと勧めた。食べてみると、とてもおいしく、さわやかな気分だった。

 でも、梨に似た果物から濃い果汁がおびただしく手をつたって、私の服にこぼれた。

「まあ、服を汚してしまったわ!」と言うと、義兄は優しく笑った。

「しみを見せてごらん。」

 驚いたことに、小さなしみ一つ見つからない。

「手を見てごらん。」 

 手も、まるでお風呂上がりのように、きれいですべすべしている。

「どうして? 手にもいっぱいしるがついたのに。」

「単純だよ。空気にさらされると、不純物は瞬時にして消えてしまうんだ。何も腐ったり、さびたりせず、この場所の普遍の純粋さと美観をそこねることはしない。果物は熟れて落ちるや否や、すぐに収穫されないものは一瞬にして蒸発して、種すらも残らないのだよ。」

 木の下に果物が全然落ちていないことには気づいていた。なるほど、そういうわけだったのだ。

「それでは、汚れたものは何一つ存在しないのですね。」 私は感慨深げに言った。

「そう。まさしくその通りだ。」

 

両親との再会

 

 私達は階段を降り、再び花の間に入った。埋め込まれたバラに再度感嘆していると、義兄が尋ねた。「天国にいる人の内、誰に一番会いたいかね?」

 私はすかさず答えた。

「父と母に!」 

 義兄が意味ありげに微笑んだので、急いで振り向くと、長方形の部屋を歩み寄って来る、なつかしい父と母と、一番下の妹の姿が見えた。喜びの声をあげながら、私は父の開かれた腕に飛び込んだ。「かわいい娘よ!」 このなつかしい言葉を聞いて、心は喜びに震えた。

「ついに、ついに会えたのね!」 私は父にしがみついた。

「そうだ、ついに!」 

 感嘆のため息をつきながら、父は私の言葉を繰り返した。それから父は母のほうを振り返り、私と母はすぐさま抱擁を交わした。

「お母さん!」

それから妹が私達二人を抱擁しながら言った。「待ちきれないわ! 私も中に入れて!」 

 私は片腕を母から離すと、妹の首に回して、このめでたい愛の再会の輪へと彼女を引き入れた。

 ああ、何と素晴らしい時だったろう! 天国にもこれほどの喜びがあろうとは、夢にも思っていなかった。しばらくして、私達が喜ぶのを嬉しそうに見ていた義兄がこう言った。「これで何時間かの間、安心してあなたをここにおいていけるようだね。これから他の仕事があるから。」

「そうですね。行って下さい。私らが喜んで娘をあずかるから。」と父が言った。

義兄は優しくこう言った。

「それではしばしの間、さようなら。しっかり休息も取るように。特に新しい人生に到着したばかりの時には、休息は楽しみであるだけでなく、天国の義務でもあるのだから。」

「わかりました。必ず休ませますよ。」父が優しい笑みを浮かべ、私をちらりと見た。

 義兄が去ると、母が私の手を握りながらこう言った。

「さあ、おいで。ぜひ私達の家を見てほしいから。」 

 私達は連れだって、玄関から外に出た。そして、柔らかい芝生の上を何百メートルか歩いて、すてきな家へと入って行った。私の家とどこかしら似てはいたが、細部にはいろいろ違いがあった。部屋はそれぞれ上品さと洗練さをかもしだし、家の雰囲気もとても暖かだった 。父の書斎は二階にあり、入るなりまず目についたのは、机のそばの窓を覆っている豊かに繁ったバラの木の枝だ。

「まあ、この窓から外を見ると、まるで家にあったお父さんの書斎にいるような気がするわ。」

「そうだろう?」 父はさも嬉しそうに笑った。「時々、あのなつかしいバラの茂みをそのままここに植え替えたのかと思うほどだよ。」

「ここをお家にしたら? だってお父さんのお家なんですもの。」 妹がねだるように言った。

「いや」 父がすかさず口をはさんだ。「スプリンガー大佐こそ、保護者として、この子を指導するにふさわしい。賢明で立派な取り決めだよ。どう見ても、大佐以上にふさわしい人はいないな。父なる神には決して間違いはない。スプリンガー大佐は、主のとても近くに立っておられる。主のご意志についての知識に非常にたけた方だから、大佐以上の適任者はめったにいない。ところで、私にもしばしの任務がある。しかし、幸せなことに、もう長い間離れ離れになることは決してないからね! これからおまえには二つの家がある。おまえのと、私達のだ。」

 

天国に来る前に備えがなかった人の指導

 

 その時、父の前にさっと使者が現れ、ほんの二、三言話しかけた。「よろしい、直ちに行こう。」そう答えると、父は私達に手を振って、天の使者と共に出かけて行った。

 母が言った。「お父様は普通、備えがほとんどなしにここに来た人たち、つまり地上で言う『死ぬ間際の悔い改め』をした人たちを助ける仕事に呼ばれるのよ。お父様は、前から大勢の人をキリストの救いに導いていたでしょう。お父さんが助ける哀れな人たちは、一から教えられなければならないのよ。最下級で霊の世界に入るので、一歩一歩、上へと導くのがお父様の任務なの。お父様も楽しんでいらっしゃるわ。お父様はこの仕事に身を捧げていて、助けてあげた人からとても慕われているのよ。よく私も同行させてもらって、お手伝いするの。私にとってもとても楽しみだわ。それにね…」母は喜びに目を輝かせながら言った。「私、もう、物忘れをしないのよ。」

 母は他界する前、記憶力が著しく衰えたことを憂(うれ)いていた。それで、母の今の喜びが、私にはよくわかった。

 

地上にいる者への想い

 

 しばらくして、妹は私をそっと脇に寄せると、こうささやいた。「息子のことを教えて。愛する息子のことを。よくその姿は見るけれど、地上の生活については、思っていたほど知ることは許されていないのよ。知恵深き父なる神は、最善と判断される知識を思慮深く与えて下さるから、もっと教えてもらう時まで私達は満足して待っているのよ。でも、あなたが話してくれることなら、私も知ってもいいはずだわ。いつか、息子は私のところに来るかしら? また愛する息子をこの腕に抱く時が来るのかしら?」

「もちろん。きっとそうなると思うわ。あなたの息子には、あなたとのなつかしい思い出が沢山あるわ。」

 妹は、まだ子供の息子を後に残して天国に行かなければならなかったのだ。そこで私は、甥(おい)について思い出せる限りを話した。今、立派な大人になり、妻と息子と共に温かい家庭を築き、敬愛されていることを。

「それならば待っていられるわ。息子が地上の務めを終えた時、奥さんと子供をきっと連れて来てくれるならば。私は彼らも愛するでしょう!」

 

兄や親戚との再会

 

 ふと、誰かが優しく私の目を覆った。「誰だ?」 

「ああ、声も、この感触も覚えているわ。愛する、愛するニールね!」 

そう叫んで私はすぐさま振り向き、たった一人の兄を抱きしめた。兄のニールは胸元へ優しく私を引き寄せたかと思うと、がっしりした腕で、昔のようにいたずらっぽく私を高く抱き上げた。

 二言三言、言葉を交わすと、ニールは言った。「さあ、行こう。はじめての再会にしては、皆、十分おまえと一緒にいたから、今度は僕達の番だ。母さん、ちょっと外に連れて行ってもいいですか? それとも、母さんも行きますか?」 兄は母の方を向いて、優しく肩をさすった。

「私は行けないわ。お父様が帰って来る時にここにいなくては。二人とも連れてお行き。兄妹がまた一緒にいられるのは、本当に嬉しいわね。」

「では、行こう。」

 私達三人は互いに手を取って出かけて行った。少し散策をした後、最高に美しく磨かれた木でできた家の前に立ち止まった。構造も仕上げも見事な家だ。広いベランダに立ち止まって、つやつやの木の柱に巻き付いたツルを観察していると、兄が笑いながら、妹に話しかけた。

「全く、相変わらずだな! 彼女が天国の花や植物の名前を全部覚えるまでは、ほかの話をするのは無理のようだね。」

 広く綺麗(きれい)な入り口の間は、幾つもの一人部屋へとつながっていた。

「アルマ!」

 一歩入ると、兄が優しい声で呼んだ。すぐさま、一つの部屋から美しい女性が近づいて来た。

「アルマ! 見違えてしまったわ! 最後に会った時には、まだほんの子供だったのに。」

「アルマは今もお父さんっ子でね。」兄が目を細めた。「アルマとキャリーのおかげで楽しい我が家だよ。キャリーにはまだ会ったことがなかったね。キャリーはどこだい?」

「大音楽堂よ。キャリーは美しい声を授かったから、練習を積んでいるの。」アルマが私を見て言った。「キャリーが戻ってきたら、ぜひ二人で叔母様にお会いしようと思っていました。」

 それから彼らはこの美しい家を案内してくれた。細々とした所まで、完璧で魅力的だ。家の片側のベランダに出ると、隣の家はとても近くて、ベランダから簡単に歩いて渡れるほどだった。兄が私をひょいと抱き上げ、隙間を越えさせてくれた。

「おまえが会いたいだろう人が、もう一人いるよ。」

 隣の家は、兄ニールの家と造りも仕上げもとても良く似ていた。中に入ると、三人の人が待ちかねたように私を迎えにかけ寄ってきた。父の姉にあたる、大好きだった伯母と、彼女の娘とその夫であった。お互いに積もる話をし、抱擁を交わし、あれこれ尋ねたり、答えたり…。何と楽しかったことか!

「医者のニールの近くに住めて嬉しいわ。ごらんの通り、私達は家族同然なの。みんな、一緒にいるのが一番いいと思っているのよ。」

「同感だわ。」私が答えた。「でも、もう兄さんの医者としての腕前は必要ないわね。」

「そう、父なる神のおかげよ。でも、他のことでは始終ニールが必要になるの。」

「感謝するのは僕の方だよ。ところで、おまえを部屋に返すと、フランクに約束したんだった。フランクは、おまえはしばらく自分の部屋に一人でいた方がいいと言っていたから。さあ、行こうか?」

 兄は私を家まで送ってくれ、暖かい抱擁を交わして、私達は部屋の入り口で別れた。

 部屋に入るなり、私はソファに横たわって今日の素晴らしい出来事の数々を思い返した。他の事はすべて忘れ、キリストの平安に外套(とう)のように包まれて、私はいつしか眠りについた。

 

天国の思いがけない贈り物!

 

 ある日、義兄のフランクと一緒にいると、背の高い若い男性がなつかしそうに私達を見ているのに気がついた。よく見ると、キャロルではないか。私は両腕を差し出して喜びの声をあげた。「まあ、キャロル!」

 キャロルも両手を伸ばして私を歓迎した。

「母のために家を建てているんです。見に来ますか?」

 義兄の方を見て同意を求めると、義兄は快く首を縦に振って、私の甥(おい)のキャロルに言った。

「二人で行っておいで。義妹(いもうと)を、後で私の所に連れてきてくれないかい。」

「喜んで。」キャロルがそう言い、私達はうきうきしながら歩いて行った。家はそう遠くないところにあった。どこを取っても、魅力的な家だ。形は兄のニールの家にとても似ていて、同じようにぴかぴかに磨かれた木でできている。まだ一部しかできあがっていないが、申し分なく芸術的に仕上がっている。未完成ながら、すべてが完璧なのが、とても印象的だった。どこにもくず一つなく、木の破片も、削りくずも、ちりもない。どうやら木はどこか他の場所で切られているようだ。ただし、どこかといわれても、私には思いもよらない。板は、巨大な木製のパズルのピースのように、ぴったりと組合わさるようにできている。一つ一つがそれぞれの場所にぴったりと組合わさるように造るには、たいへんな技術を要する。

 キャロルが言った。「ほら、ここでは職人は音を立てないんですよ。金槌も使わないし、騒音もない。」私はふと、エルサレムの宮殿を思った。建てられている時には、「宮のうちには、つちも、おのも、その他の鉄器もその音が聞えなかった」という。

 私は夢中でこう言った。「とても美しいわ、キャロル。ところで、これは何? 暖炉? 火がいるほど寒くなるの?」

「そんなことはない。でも、ここの火は、必要以上に部屋を暖めたりはしない。ただ、その暖かみと輝きを楽しめるんです。」

「素敵だわ! ステンドグラスの窓もあなたが造ったの?」

「いいや。ステンドグラス作りの技術を学んだ友達がいて、互いに得意なことで助け合ったんです。彼が僕の窓を作ってくれ、代わりに僕が彼に木材工芸とはめ込み細工をしてあげるたんです。母には、おばさんに造ってあげたのと同じような『花の間』を造ってあげるつもりです。母のは百合とすみれにします。匂いもずっと残るんですよ。」

「何て素敵なんでしょう! キャロル、私達の花の間を造るのに貢献してくれて、ありがとう。あんなみごとな部屋は見たことがなかったわ。誰が造ったか教えてもらうと、素晴らしさもなおさらよ。」

「みんなの愛がこもっていますからね。」キャロルが飾らずにそう言った。

「だからこそ、なおのこと美しく見えるんだわ。さあ、私の隣りに座って、あなたのことをもっと話してちょうだい。いつも、こんな素敵な仕事をしているの?」

「まさか、違いますよ! 地上で言う、一日二、三時間というところかな。たいていは祖父と一緒にいるんです。ここに来た当時、祖父がいてくれなかったなら、どうなっていたことやら。この人生には全く無知で、来たのも突然だったから。祖父が一番外の門まで迎えに来てくれて、すぐに家に連れて来てくれた。そして、家で、祖母と一緒に、僕をいろいろと指導し、助けてくれたんですよ。」

 

 −−第二部へ続く−−