クリスチャン・ダイジェスト

提 供

 

間違った事が正しいとされている時

−−命はそれほど惜しいものか?

ブラザー・アンドリューの著書より

(ニューヨーク:トマス・ネルソン出版社、1985年)

 

(ブラザー・アンドリューは、クリスチャンであることが危険な国々で福音伝道をしています。彼は、宗教の自由や伝道の自由がない国々に住む人達に伝道をする団体、オープンドアーズの創始者であり、会長でもあります。彼の著書「神の密輸商人」は、世界的ベストセラーとなり、1000万部以上印刷されています。ブラザー・アンドリューによるオープンドアーズは、オーストラリア、ブラジル、イギリス、フランス、ドイツ、香港、ケニア、メキシコ、ニュージーランド、オランダ、ノルウェー、フィリピン、シンガポール、南アフリカ、カナダ、米国に支部があります。)

 

1巻4号−−1992年12月 DFO

クリスチャン・ダイジェストは、全く営利を目的としない出版社です。

この小冊子は私的な出版物であり、特定の人々に無料配付されています。よって非売品です。

 

はじめに

  はこの本を、信仰のゆえに法に背くことに私なったすべての時代のクリスチャンに捧げたいと思います。何万何十万と、数え切れないほどのクリスチャンが、伝道したために逮捕され、投獄され、拷問され、持ち物を剥奪されたり、処刑されたりしてきました。その大半は、神に背いたこと、つまり、神の律法を破ったことで罰を受けたのではなく、人間の政府の法律を破ったことで罰を受けたのでした。

  実は、クリスチャンは、全く正しい事をすることで法律を破る結果になることがあるのです。信仰の英雄とされていながら投獄された人が大勢いるのも、それが理由です。ヘブル11章に始まる殉教者名簿には、長い追加者名簿があり、使徒全員に始まって、多くの教会の指導者達、聖書を庶民にも読めるようにしたウイリアム・ティンデールや、力強い信仰の書「天路歴程」の著者ジョン・バニヤンのような偉人、アドニラム・ジャドソンのような宣教師の開拓者達、勇敢にも神を何よりも尊ぶ現代の指導者達などがその名をつらねているのです。

  新約聖書が書かれた時代に、何故、信者達が投獄されたのでしょうか? また、クリスチャンが、教会が始まってからまさに現代に至るまで投獄されてきたのは何故でしょうか? それは、これらの信者達が、人に従うよりは、むしろ神に従うことを選んだからです。神の御心に背かない範囲内においてのみ、その国の法律に従ったのでした。

  今日そういった苦難を味わっているクリスチャンの大半は、実のところ、神の律法を守っているのです! そして、教会は現在、神を拝し、神に従い続けるためには、皆が法律を破らざるをえないような時代に生きています。実際、神の律法を守るには、人や政府の法律を破らざるをえないこともあるのです。

  アメリカ独立戦争の英雄であるパトリック・ヘンリーの言葉を初めて読んだ時、私は強く心を打たれたました。「束縛され、奴隷になってまでも守るほどに、命はいとおしく、平和は美しいものだろうか?」

  パトリック・ヘンリーは、政治革命を呼びかけていましたが、私達は、愛の革命を呼びかけています。私達は、「死に至るまで、命を惜しみはしない!」と言うほどの、妥協なしの徹底した従順の精神を学ぶ必要があります。

 

私達への命令は明確

  あなたが兵士であるとしましょう。司令官から敵の領地を侵略せよとの命令を受けたあなたは、敵の不意をついて、敵の防御が最も緩んでいる時と場所を見計らって攻撃する作戦を立てたのですが、前進して行く内に、敵の砦が固く築かれていることを知ります。さらに悪いことに、どういうわけか敵に作戦を見抜かれており、突然、銃声が鳴り響いて、完全撤退を余儀なくされるのです。

  それで、本拠地に戻り、「どうだ、その領地は占領できたか?」と司令官に尋ねられると、「司令官、残念ながら敵がそれを許しませんでした。」と答えるわけです。

  しかし、そんな答えが通用するでしょうか? 戦争とはそんなものではありません。兵士は、一旦命令を受ければ、任務遂行のためには死ぬまで戦うという忠誠の誓いに縛られているのです。敵が砦を固め、武装して抵抗してきたからというだけで、あきらめたりはしません! そんなことは、兵士も、任務に取りかかる前に十分承知しており、司令官もまた承知しています。戦闘に勝利するつもりなら、そのような障害は克服しなければならないのです!

  そして、この忠誠と従順の原則は、信仰の戦争にも当てはまります。主の命令に従うためには、国家の権威に逆らわなければならないこともあるのです。けれども、多くのクリスチャン兵士達は、司令官に向かって、「敵が私達の目的を認めず、私達に勝利を収めようとさせないので、前進することはできません。」と言っているかのようです。

  何とばかげたことでしょうか! もちろん、悪魔は私達の目的を認めようとはしません。だからこそ、悪魔は私達の敵なのです! 当然、悪魔は主の軍隊に対して戦ってきます。それこそ、敵のすることです! ではなぜ、実に多くのクリスチャンが、福音に対してほんの少しの抵抗を受けただけで驚愕し、さらには身動きが取れない程になってしまうのでしょうか?

  さて、サタンを踏みにじり、死を征服した主なるイエス・キリストが私達に、敵に占領されたこの世を侵略して、神のために奪回することを命じておられるというのは、クリスチャンのどんな活動にも当てはまる最も基本的な原則です。そして私達は、主の絶対的な権威の下に進軍するのです。敵との駆け引きなどありません。邪悪な権威との妥協もあり得ません。神を神とも認めぬ政府に譲歩することもなく、誰にも何の言い訳もしません。

  さらに、主は、陰府(よみ)の力も、キリストの教会の最終的な進軍には太刀打ちできないと保証しておられます。悪魔の巧妙な手段や圧力は、主の圧倒的な力に対する最後の抵抗に過ぎないのです。

  十字架の死から何日かたって、イエスは姿を現わされ、弟子達に直接語られました。それは、主が昇天される日、すなわち、元来の地位である神の御座に就かれる日でした。その日、主は、まさに驚くべき事を語られたのです。それは、この世界の歴史上、一番重要な声明でした。主は、彼らを敵の領地へ送り出すと言われたのです!

  この世の君主である悪魔があらゆる手段を尽くして、信者達がキリストの福音を広めるのを阻むことを、主は誰よりもよく知っていました。なぜなら、福音のメッセージは、闇の王国の支配下におかれていた人々を、光の王国の民にするからです。

  それ故、イエスは閧(とき)の声をあげられました。はっと息をのむような事を言われたのです。「天においても地においても、全ての権威がわたしに与えられている。」と。(マタイ28:18)

  ご自分の権威を明言されたことで、イエスは、私達に戦場を明らかにされ、霊的な戦いの目標を定められたのでした。サタンによって罪の内に、文化や言語や政府やその他あらゆる障壁の背後に捕らえられている人々をご自分のものとするため、主は、ご自身に従う者達を敵の領地に送られたのでした。

  私達は行動に出なければなりません! もし逮捕されるなら、尋問は、相手に新しい観念を伝えるこの上ないチャンスであることを覚えていて下さい! クリスチャンは、尋問への答を通して、キリストのメッセージをはっきりと述べることができます。しかし私達は、この世の政府がキリストを支持してはいないという事実を直視しなければなりません。

  使徒ペテロは、使徒行伝5章にあるように、このことをすばやく悟ったのでした。初代教会とその公の伝道が始まった直後から、ユダヤ人の権威者達は、クリスチャンの教えや伝道方法、またその指導者達も快く思っていませんでした。ですから、使徒達は、まさに聖書が服従することを命じているこの世の正式な政府によって逮捕されたのでした。

  使徒行伝5:28では、大祭司がこう言いました。「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを、氾濫させている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任を私達におわせようと、たくらんでいるのだ。」

  自分や使徒達の信条としてペテロが言ったこの言葉をよく考えてみて下さい。「人間に従うよりは、神に従うべきである。」(使徒5:29)

  これこそ、最も大切なことです。イエスは、私達が福音をすべての国に伝えなければならないと言われました。警察や政府、軍隊を通して、あるいは文化や宗教のゆえにどの国が福音を拒もうとも、それに関係なく進んで行くという使命を私達は負っているのです!

 

私達には二重国籍がある

  この地上のどこかの国の国民であるだけでなく、神の王国の国民でもあるので、私達は二重国籍保持者です。この考え方は、ヘブル11章の英雄リストに出て来る言葉と一致します。「これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり、寄留者であることを、自ら言い表した。」(13節) これこそ苦難の中での彼らの基本姿勢であり、私達に対する手本です。

  使徒達も、この地上の権威に従うべきか、それとも天からの召しという義務を果たすべきか選択しなくてはいけませんでした。ペテロとヨハネとは、議会、つまり、ユダヤ国家で正式に定められた宗教的権威の最高機関に、イエスの御名によって宣べ伝えたことによって逮捕され、「イエスの名によって語ることも説くことも」禁じられたのでした。(使徒行伝4:18)これに対して使徒達は、「神に従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか判断してもらいたい。私達としては、自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない。」と答えたのでした。(使徒行伝4:19-20)

  使徒達は、自分達の活動を断固として続けました。またもや議会に連れて行かれ、イエスの名によって教えるのをやめるよう厳しく命じられた時にも、彼らの答えは、「人間に従うよりは、神に従うべきである」でした。(使徒行伝5:29)

  権威に対するこのようなあからさまな反抗を私達はどう説明できるでしょうか? カギは、忠誠を尽くす優先順序にあります。神がまず最初で、政府はその次なのです。地上の権威の命じることが、神からの命令と相反する時には、クリスチャンは神に従う義務があるのです。

  神に対する忠誠が優先された例は、聖書の中に沢山あります。ヘブル人の助産婦は、エジプトのパロの勅令に背いて、男の子の赤ん坊の命を救っていました。(出エジプト1:15-20)モーセの母は、パロの命令に背いてモーセを隠しました。(出エジプト2:2-3)ダニエルは、王の勅令を無視して、勇敢にも祈りを続け、それも、開いた窓のそばでひざまずいて1日に3度祈りました。(ダニエル6章)問題なのはそれが不法行為かどうかではなく、神に従う事が不法であると定める権利が誰にあるかという事です。

  使徒行伝5章28節で、権力者達はペテロに、イエスの名によってもはや説く事も教える事もならないと告げました。ペテロは、「わかりました。私は偶然にもこの国の国民ですから、あなたがたや規則に従います。」と答えたでしょうか? もしそう答えていたなら、今日、私達の一体何人がクリスチャンになっていた事でしょう?

  ペテロは、「いや、私には忠誠を尽くすべき、より高い権威の方がおられ、人間に従うよりは、むしろ神に従わなければならない。」と言ったのでした。

  ローマ12章1節は、神が私達に望まれていることを明確にしています。「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」

  それからパウロは、「あなたがたは世と妥協してはならない。」と付け加えています。つまり、世に煩わされたり、それに深入りしてはならない、ただ神の御国のために働きなさい、と言っているのです。神の御国のために急進的になりなさい、狂信的でさえあってもいいと!死んだも同然の人間の情熱をかき立てるよりは、狂信者の情熱を冷ますほうが容易だと言った人がいます! イエスは、「このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」と言われました。(黙示録3:16)

  1681年にウイリアム・ペンが、「われわれが神に治められていないなら、暴君によって支配されることになる。」と言っている通りです。

 

政府は神によって定められ、

神に対して責任を負っている

  国家や地方当局あるいは国際機関が、教会の活動を制限し、クリスチャンの証しを抑制、迫害する場合は、もともとその権威を定められた神の目的に反することをしているのです。ですから、私達は証しや礼拝を禁ずるような規則に従う義務はありません。

  使徒行伝9章23節において、ユダヤ人は、ダマスコ(ダマスカス)に滞在していたサウルを殺そうと決めました。これは、一個人が企てた陰謀ではなく、政府の陰謀でした。ユダヤ人達は、サウロがダマスコのクリスチャンを迫害するために持っていたような、当局からの正式な逮捕令状を用意していたことでしょう。サウロが狙われたのは、主にあって素晴らしく生まれ変わった後、教会を迫害するどころか、イエス・キリストについて証しをしていたからです。

  聖書には、「ところが、その陰謀がサウロの知るところとなった。彼らは、夜昼、町の門を見守っていた。」とあります。(使徒行伝9:24)監視していたのは誰ですか? 政府です。警察や兵士達です!(2コリント11:32-33) しかし、サウロの仲間は、夜の間に彼を城壁づたいにかごでつり降ろして、彼を助けました。

  サウロは、門での取締りを避け、逮捕を免れたことで、違法な行動をしました。サウロは政府に服従するべきだったのではありませんか? その政府は神から授かった権威をもっていたのではありませんか?

  いいえ! サウロはキリストの戒めを完全に守るには、当局に伝道活動を制限させてはならないと信じていました。「福音を宣べ伝えよ」という戒めをすでに受けている以上、政府の命令によって足止めされる事はできませんでした。

  実際、彼は不当な罰なら、受けることさえしませんでした。パウロは自ら、政府には「従う」べきだと書いているものの、政府が不当な罰を下そうとした時までそれを受け入れるべきだとは考えなかったのです。もし政府の命令が不当なら、それに反した場合の処罰も不当です。前者に従わない事が正当であれば、後者を受け入れない事も同様に正当と認められるのです。

  聖書に記されている通り、使徒パウロは、権威者の定めた一般の処置や刑罰を受け入れないことが度々ありました。(使徒7:6-10、19:38-20:1を参照)幾つかの規則は、福音を宣べ伝えていない人達のために定められたものとして、さっさと無視したのです。だから、違法行為のかどで、何度も牢獄に入れられました。

  また、テサロニケにいた時には、パウロは身を隠さなくてはなりませんでした。パウロを当局に引き渡そうとする民衆は、彼を捕まえようと、ヤソンの家を襲ったからです。しかし、地下に潜っていたので、暴徒達に見つかりませんでした。(使徒行伝17:5-6を参照)敵に、自分の仕事や伝道を滅ぼさせるなど、もってのほかでした。だから、法律の承認するところの政府であっても、服従しなかったのです。

  さて、ペテロはどうでしょうか。ぺテロの生涯を読めば、彼が、政府には何が何でも従わなくてはいけないとは信じていなかった事が明らかです。ペテロと権威者達との衝突が、使徒行伝5章17節に記されています。その章において、使徒達は、尊敬し、従うべき政府から圧力をかけられています。政府は、悪を裁き、善を称えるべきであるのに、この政府は彼らを留置所に拘束しました。

  さて聖書には、主からのみ使いがその留置所の戸を開いたとあります。完全なる違法行為です! そのように留置所の戸を開く事などできません。神によって立てられた政府の命令によって、堅く閉じられ、見張りもついていたのですから! しかし神は、政府に公然と反抗した人達の味方をされました。神ご自身が使徒達を釈放されたのです。その上興味深い事に、神は彼らに「姿を隠し、地下に潜りなさい。」とは言われませんでした。そうではなく、「宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい。」と言われたのです。(使徒行伝5:20)

  面白いと思いませんか? 神は邪悪な勢力と対決することを恐れてはいません。しかし、私達は、神の力に対する信仰の欠如のゆえに恐れているのです。

  当局は、ペテロ及び他の使徒達を再び捕らえ、警告しました。「あの名を使って教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教えを、氾濫させている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任を私達に負わせようと、企んでいる。」(使徒行伝5:28)しかし、ペテロはこう答えたのでした。「人間に従うよりは、神に従うべきである。」

 

サタンの攻撃目標

  迫害下にいるクリスチャンは、攻撃されているのは自分ではなく、自分の内にあるイエスの命であることを理解すべきです。クリスチャンには、そのイエスの命を他の人達にも伝える力があるのです。

  サタンはあらゆる手段を用いて、私達の内にある新しい命が他に影響することがないよう、私達の社会的信用を落したり、恐れさせたり、証しの言葉を言わせないようにしようとします。しかし、サタンも度を越して、イエスを十字架につけた時のように、信者を殉教させてしまうことがあります。すると、その命は他の人達の中で生き続け、栄光と勝利に満ちた、よりいっそう素晴らしい証しとなるのです! そのような迫害下では、教会はただ生き延びるだけではなく、むしろ成長することを、中国の教会は実証してきました。1950年に宣教師達が国外追放され、他の国のキリストの教会との関係が断たれた後、信者達は毛沢東の文化革命という恐怖の時期を迎えました。クリスチャンは殺害されるか投獄され、聖書は焼かれ、生き残った信者達は中国中に散らばっていきました。攻撃目標が、信者達の人生に現われるイエスの命と御名だったことは明白です。

  そして受難者達は、イエスの命を携えていき、エルサレムの初代教会の信者達と同様に、「散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」のです。(使徒行伝8:4)これまではっきりとは見えなかった実は、今見え始めています。中国には何百万ものクリスチャンが存在し、様々な地方の辺ぴな地域で、共に集まって、礼拝を行なっているのです。

  今こそ、私達も神の見ておられる観点から国々を見るため、聖霊の大胆さを用いるべきです。私達が主イエス・キリストの真の信者ならば、主の命令通り、全世界に出て行くべきです。歓迎も、招待状も、政府からの許可も必要ありません。勿論、私達はクリスチャンですから、聖書の持込みや伝道が正式に許可されている国では、通常の手続きをします。しかし丁重な歓待や要人向けのレセプションなど必要ありません。もっともそれが、「キリストの為の大変重要な囚人」として扱うという意味なら別ですが!

  クリスチャン以外で、革命を起こそうという堅い信念を持った人々は大勢います。私達がそのような人々よりももっと革命的な人生を生きるには、勇気、つまり聖霊の大胆さを持っていなくてはなりません。私達が望むならば、主は、コマンドのように行動する勇気を与えて下さいます。しかし、出て行って、主の命令を遂行するのは、私達の義務です。

 

苦難は覚悟しておくこと

  将来受ける可能性のある苦難を喜んで待つクリスチャンは、あまりいないでしょう。しかしながら、苦難は、クリスチャンの人生に不可欠な要素です。

  私の愛読書で、長年のベストセラーとなっている本は、ジョン・バニヤン著の「天路歴程」です。バニヤンは英国のベドフォード村で、鍋を直す修繕屋でした。とても謙虚な人でしたが、一度主を知るや、熱心に福音を宣べ伝え始めました。

  当時の英国では、そのように個人で福音伝道を行なう者は良く思われませんでした。それでバニヤンは、福音を宣べ伝えたことで投獄され、数日間を除いておよそ12年間もベドフォードで獄中生活をしました。そして信仰自由宣言の公布により、ついに釈放されたのです。エドワード・ベナブル著「ジョン・バニヤンの生涯」にはこう書かれています。「そのような法の下では、例外なく法を破った。そして、法を破る機会が再び訪れたらまた破るであろうという決意を、きっぱりと語った。『もし今日釈放されるなら、神の助けによって明日福音を宣べ伝える。私は彼らにそう告げた。』」

  バニヤンは、使徒パウロが宣べ伝えた真理を理解していました。クリスチャンでいるには代価がかかるのです。クリスチャンではない多くの人々は、真のクリスチャンの信念と確信に敬意を払います。

  ある時、私は東欧を旅行中に逮捕され、尋問のために秘密警察の本部に連行されました。逮捕されると必ず、取調べをする人々に出来るだけ力強く伝道することにしています。自分達まで改宗させられるのではないかと恐れた当局が、さっさと私を追い出すことを期待してです。この時も、私はこう言いました、「聞いて下さい。私がこの国で良いことを行なっているのを知っているでしょう。またここの国民の中でクリスチャンが最高の市民であることも知っているでしょう。働き者で、最も誠実な人達です。ひとえに彼らが主イエス・キリストを信じているからです。」

  結局、秘密警察の警察官は、私が国外脱出するのを自ら助けてくれました! 私の言葉が真実だと知っていたのです。私の知っている国ではどこでも、クリスチャンは最も勤勉で働き者で正直な市民です。現代の当局も、パウロの時代の政府と同様、ジレンマを味わっています。クリスチャンが伝える教えは気に入らないものの、その教えによって、クリスチャンや、彼らから真理を聞いて受け入れる人々が、立派な市民として社会に貢献していることにひそかに敬服しているのです!

 

ひっくり返った世界

  伝道旅行中のパウロとその一行が、テサロニケにおいてイエスが主であると宣教していた時、町の当局にこんな訴えが出されました。「天下をかき回してきた(注:英語の聖書では、「天下をひっくり返して」という表現が使われている)この人たちが、ここにもはいり込んでいます。」(使徒行伝17:6)

  この訴えは、あまり真実ではありません。悪魔こそ天下をひっくり返していたのであって、パウロ達は、それを正すために来たのです!もちろん、この世を治める立場にある人々は、キリストのためにそこまで徹底的に生きようとする人達に対して憤慨します。全世界は、悪しき者、つまり悪魔の支配下にあり、統治者も同様であるのは珍しい事ではありません。(1ヨハネ5:19)

  神の言葉を学んでいる人なら、イエス・キリストの教会に対して敵対行為がなされても驚かないはずです。聖書には、この世界の国々はキリストに味方しないことが明確に書かれています。ルカ21章12節に、終わりの時には地震や、飢饉、疫病や、天からの前兆などがあると書かれていますが、イエスは、「しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。」と言われました。

  宗教迫害は当局の名の元に行なわれるであろうと、イエスは警告されました。私達は再び、世界がどれほどひっくり返った状態になり得るかを目の当たりにしています! 今こそ、任務を遂行し、世界を正常に戻す時です。

  終わりの時の2つのしるしとは、迫害と、世界に福音が宣べ伝えられることです。

  迫害は、政治的、かつ宗教的な反対から引き起こされます。(マルコ13:9)反対者達は常に、イエス・キリストに従う人や、主が象徴するものすべてに激しく敵対するのです。イエスが戦争と戦争の噂について語られた時、「あわてるな…まだ終わりではない。」と言われました。(マルコ13:7) それから国々の災害について語られたけれども、それは産みの苦しみの初めであると警告されました。(マルコ13:8)多くの人(少数ではなく、多くの人)の愛が冷えることで、最も激しい迫害は幕をあけます。(マタイ24:12)

  それは全ての国がイエスに従う人々を憎むようになるからです。これまでクリスチャンを大目に見てきたような国々もそうなることでしょう。(マタイ24:9) 悪が世の中にますます氾濫するので、大勢の人がその圧力に耐えられなくなります。そして、わが子にさえクリスチャンとしての道徳観や信仰を教え込むことができないという失望感が、神への非難に変わるのです。「もし神が、愛の神なら、どうしてこんな事が起こるのを許されるのか?」

  その結果、多くの人は信仰を捨て、互いに愛し合いなさいという戒めに従うかわりに、互いに裏切り、憎み合うようになるでしょう。(マタイ24:10) 無神論者のことを言っているのではありません。クリスチャンのことです。「また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡す。」(マルコ13:12)

  この最もひどい迫害についてはマタイ24章とマルコ13章に記されており、どちらの章も真ん中の部分に、福音が宣べ伝えられるであろうこと、しかも、終わりが来る前に福音が宣べ伝えられなければならないことが書かれています。(マタイ24:14とマルコ13:10)その大いなる使命は、なおクリスチャンのスローガンであって、なくなったわけではありません。おそらく、刑務所や強制収容所で一般の人達がイエスについて聞くのでしょう。その試練の時期に、教会に行く気もなかった人達が福音を聞くかもしれません。「あなたがたは、わたしのために、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。」(マルコ13:9)

  新約聖書は、獄中はもちろん、取調べの場や裁判所でも、福音が立派に宣べ伝えられたことを証明しています。聖書の中でも最も効果のあった説教の幾つかは、そのような場所でなされたのでした。

  例をあげてみましょう。

 

・ 議会(最高法院)でのペテロとヨハネ(使徒行伝4:8-20、使徒行伝5:29-32)

・ 議会に対するステパノの演説(使徒行伝7:2-53)

・ エルサレムでのパウロの弁明(使徒行伝22:1-21)

・ パウロの議会での証言(使徒行伝23:1-6)

・ ペリクスへのパウロの答弁(使徒行伝24:1-21)

・ 再び、パウロの、ペリクスと同席の妻ドルシラへの答弁。(使徒行伝24:25)

・ アグリッパに弁明するパウロ(使徒行伝26:2-29)

 

  最後になりましたが、パウロが全ての異邦人に御言葉を余すところなく宣べ伝えたと語っている事も大切です。その中には、最も残忍な迫害者ネロも含まれています。(2テモテ4:17)

  政府との絶え間ない戦いにおいて、パウロはルカ21章17-19節にあるこのイエスの約束を常に心の支えとしていたに違いありません。「わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われる事はない。あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。」 現代において、数々の時のしるしが起こっているのを見ますが、勇気を出して下さい。私達がイエスのために立ち上がり、御国の福音を大胆に宣べ伝えるなら、終わりはすぐに来るのです!

 

行動が奇跡に次ぐ奇跡を起こす

  ある日曜日、東独に向けて発つ直前に、私はオランダの大きな教会で説教し、自分の旅のために祈りを求めました。その集会の後で、おどおどした態度の婦人が近づいてきました。

  「アンドリュー、ドイツに行くと聞いて、お願いしたいことがあるんです。ずっと心に引っかかっていたことなので、助けてもらえませんか。」

  何だろうと思いながら、「どうぞ話して下さい。」と言いました。

  明らかに深い罪の意識を感じている様子で、その婦人はこんな話をしてくれました。

  第二次世界大戦の最中とその直後、その人はドイツとの国境に近いオランダ東部に住んでおり、自分の家で米軍の将校達をもてなしていたそうです。将校達はよく織物を持ってきました。そのような布地は非常に価値があり、特にその頃オランダではなかなか手に入らない代物でした。将校達はそれを盗んできたらしく、また、紳士用スーツや裏あてを作るような類の、非常に高価な布地だったことから、彼女はそれをしまっておきました。

  布地はどんどんたまって、大きな箱一杯になりましたが、決して使いませんでした。そして、戦後20年以上もその事が気懸かりで、布地をどうしようかと思いめぐらしていたのです。しかし、彼女の教会で私が話をしたその日曜の朝、主が彼女の心に語って下さったので、この問題に決着をつけることにしたのでした。

  「アンドリュー、これをドイツに持って行って、誰かにあげてもらえませんか? それが元来の場所に戻ったと知るだけでも、気が楽になります。」 

  私はそれを引き受けました。次の週末、国境を越えて持って行きたい物をすべて自分のステーションワゴンに積み込み、あまり深く考えることなく、その婦人から預かった布地入りの大きな箱も積んだのです。

  西独の国境で、係官から何か申告するものがあるか尋ねられました。

  その布地は高価なものでしたが、そこは西独だったので、私は「いいえ。」と答えました。布地は元々そこから来たので、申告する必要はなかったからです。

  翌朝、私は東独の国境に着きました。再び、国境警備兵から同じ質問が来ました。「何か申告するものは?」

  「あります。それも沢山!」と私は答えました。

  私はステーションワゴンのバックドアを開けて、こう言いました。「これは、箱いっぱいの服地ですが、これを持ち込みたいのです。」

  「それをどうするつもりですか?」と警備兵が尋ねました。

  「無料であげるのです。」

  「誰に?」

  「わかりません。」

  この答えを聞くと、警備兵の顔に不審の色が浮かびました! そこで私は、「詳しく説明しましょう。」と言いました。

  それから、この前の日曜の朝に起こった事を話し始めましたが、私はそれに少々付け足し、救いや清い心を持つことの必要性を説く本格的な説教にしたのでした。また神の赦しがすべての人のためであることも話しました。もちろん、その婦人の話を使ったのですが、国境警備兵に福音を伝えるため、幾分話を長くしたのです。

  この間ずっと、警備兵は困惑した表情をしていました。私の方を向くと、こう言ったのです。「すみませんが、事務所にいる上官達に相談してきます。こんなケースは今まで扱ったことがないので。」

  その警備兵は、20分ほどして出て来ました。事務所にいる上官全員に話したのですが、答は出なかったのです。

  「もう一度聞きますが、誰にあげるのですか?」

  私は答えました。「正直なところ、誰でもいいんです。」 それからこう尋ねました。「あなたは欲しいですか?」

  「いや、私は受け取るわけにいきません。」

  「わかりました。私はただ誰かにあげたいだけなのです。」

  「どこでですか?」

  「わかりません。ドイツの誰かに返したいのです。国内をずっと旅するつもりです。もしあなたがどうしていいのかわからず、私もこれを持ってここを通過出来ないのなら、ここで預かってもらっても構いません。西ベルリンへ持って行って、そこの誰かにあげますから。その婦人はこの服地をドイツからもらったので、ドイツの誰かにあげてほしいと私に頼んだのです。それだけのことですから。」

  再び、その警備兵は途方にくれた表情になりました。事務所に戻って電話をかけました。多分、東ベルリンまでかけたのでしょう。どうしていいかわからなかったのです。長い時間が過ぎ、再び戻って来ると、ただ肩をすくめて言いました。「どうぞ、持って行って下さい。そして誰でも好きな人にあげて下さい。」

  他に何か申告するものがあるかなど、一度も尋ねませんでした。しかし、私は何か申告する物があるかと聞かれた時に、真実を告げたのでした。というわけで、本や福音書などについて申告せずにすんだのです。私は正直に、申告しなければならない布地の入った箱を係官に見せました。係官は私の長々とした説明に困惑しましたが、私の言った事を通して、神がその人の心にとにかく語られたのかもしれません。

  というわけで通してもらえました。前代未聞のケースだったからです。普通は1ドルの価値がある物でも申告しなければなりませんが、私は何百ドル相当の物を持っていたのに、申告書に書く必要もなく、係官は私を通してくれ、誰でも好きな人にあげていいと言ったのです。

  これは本物の奇跡です!

  夕方近くに、いつも泊めてもらっている家のある市までやって来ました。その家は仕立屋です。そこでアンナという、ハンガリーの若い女性に会いました。彼女は、ハンガリーで私の通訳を務めてくれた、バプテスト教会の牧師の娘でした。私を通じて、2つの家族、1つは東独、もう1つはハンガリーの家族が知り合いになっていたのです。

  「アンナ、ここで何をしているの?」 私は驚いて尋ねました。

  彼女はこう説明してくれました。「御存知の通り、私の両親はとても貧しいので、父のスーツ用の服地を見つけるために、母が私をここに送ったのです。」

  私は、自分が天国にいるのではないかと思いました! 何と明確な導きでしょうか! 私は、ハンガリーのジプシーに宣教していた彼女の父親とよく一緒に仕事をしました。彼はまさに神の人で、ロシア軍兵士達に聖書を配ったことで、牧師の仕事を取り上げられました。それで定職がないために、一家は貧しい生活を強いられていたのです。

  私が泊っていたのは仕立屋だったので、私はその人のスーツに十分なだけの服地を裁断し、残りも、生地が必要な他の人達にあげることが出来ました。

  これですべての小さな詳細が正しい位置に収まりました。真実が明らかにされ、神の力ははっきりしていました。それに関わるすべての人々に導きがあったのです−−オランダの婦人、東独の国境の係官、仕立屋、ハンガリーのバプテスト教会の立派な牧師! それに、私が与える人を探してそこに来た時に、同じ物を探していた牧師の娘がちょうどそこにいたのは、全く素晴らしい限りです!

  ここで、主の御名によって主が私達を召された霊的な戦争の、もう一つの原則を強調したいと思います。主は天と地のすべての権威を有しておられ、目に見えない世界において、力ある主の御使い達が私達を囲んでくれているので、私達が主に従順なら、万能の神が全くの奇跡を使って御自分の目的を達成されると期待できるということです。

  この仕事を始めて間もない頃、こんなことがありました。私はベルリンからオランダに戻る際に、東独のロシア軍占領地帯を、160キロも通過しなくてはいけませんでした。ベルリンでは、アントンという仲間のオランダ人と難民キャンプで働き、様々な国から来た人々に聖書をあげていたのです。残った聖書は、オランダで包装しなおして、また、それぞれの国に向かうチームに持って行ってもらう予定でした。

  聖書は特に隠さず、ただダンボールの箱に入れただけでした。それまで、東独の国境を越えて西独側に入る際に、トラブルは一度もなかったからです。ところが、今回、国境の東独側にあるヘルムシュテートで車を停めると、一人の将校が車に近づいてきて、一つの箱を指さしたのです。「中に何が入っているのか?」と尋ねてきました。

  とても大きな微笑みを浮かべて、私は「その箱には聖書が入っています。」と答えました。  その将校は、顔をしかめました。「その箱を私のオフィスに持って来い。」と命じられたので、私とアントンは重い箱を運び込みました。3つのテーブルは、新約聖書や福音書、それに新約と旧約両方が揃った聖書で一杯になりました。ほとんどが東欧の言語に訳されたものです。  将校は本を一つ一つ手に取ると、どこで印刷されたものか調べました。ニューヨークで印刷されたものがなかったのは幸運でした。アメリカで印刷されたものは何でも疑いを招いたでしょうが、スウェーデンやドイツ、スイス、それにオランダで印刷されたものばかりでした。

  「他にも何かあるか?」 彼はそう尋ねました。

  私は再び微笑んで言いました。「はい、他にも沢山あります。」

  将校は私達を伴って外に出ると、私のフォルクスワーゲンの後ろに立ち、一つの箱を指さしました。「それには何が入っているんだ?」

  「物語のフランネルグラフです。」

  「何だ、それは?」

  私はどんな返事も非常に長い文章にする癖をつけていました。機会あるごとに福音を伝えられるようにです。待ってましたとばかりに、私は始めました。

  「それはですね、物語の絵を集めたもので、教師が子供達に主イエス・キリストのことを教えるために使うのですが、それは、子供でも主イエスを信じることができるからであり、子供が親を愛するに十分な年齢に達すると、その子は罪びとを救うために来られたイエスを愛することができ、大人も子供も主に対する単純な信仰によって、永遠の命を持って、死んだ時に天国へ行けるのです。」

  それが1つの文にまとまった私の短い説教でした!

  将校はその箱を運び出すようにとは言いませんでしたが、中からフォールダーを1つ取り出して開きました。困りました。それは使徒パウロの旅した経路を点と線で記した地中海の地図だったからです。すべての国や海、島などの名前が書いてあり、まるでよくできたスパイの地図のようでした!

  将校は私をじっと見つめて言いました。「これは、小さな子供のためだと言ったな。」

  私は口をはさみました。「はい。それは、ヨーロッパにいる私達が、イエス・キリストのメッセージを聞けるようにと、主イエス・キリストについて話すために、ヨーロッパに来た最初の人である、使徒パウロが通った経路を示す地図で、パウロがここに来なかったら、私達は未だに神もなく、野蛮人として、すなわち無神論者として生活していたことでしょう。」

  これが私の2番目の短い説教でした!

  その時、将校は本気で腹を立てました。「その箱を私のオフィスへ持って行け!」

  そのオフィスには兵士達が沢山来ていました。みんな私達がテーブルに並べた美しい本を手に取って、様々な言語で書かれた聖書を読もうとしていたのです。私が箱を下に降ろすと、他のソ連軍の兵士や将校達も大勢なだれ込んできました。

  将校は別のフォールダーを箱から出しました。またもや、彼は、よりによって最悪のものを選んだのです。エペソ6章、つまり神の武具に関する章です! それを開いた途端、物語で使う小さな布製の剣やかぶとなどが落ちました。これは、私にとって危険な状況です。

  再び、怒りに満ちた表情で、将校は「子供達」について何かぶつぶつ言いました。

  「本当にそうなんです! 皆さんに実演してご覧にいれましょう。」

  1メートル95センチもある友人のアントンに、背景の布を持ってもらうよう頼みました。私は裸の少年の絵を取って、その布に貼り付け、話を始めました。

  「この人は、この世にいて、罪や悪魔、病気や闇、伝染病から守られてはいません。彼には保護が必要です。人は神なしに生きられないのです…」

  そして救いのかぶとを付けました。

  「救われ、自分が永遠の命を持っていると知るには、主イエス・キリストを信じなくてはなりません。」

  そして素早く義の胸あてを付けました。

  「…というのは、正しい生き方をしなければならず、この世の、神を信じぬ人々は、めちゃくちゃな生活をし、人を殺したりするからです…」私はヒットラー統治時代のドイツの話をしました。「…さて、私達はそれが起こるのを許すわけにはいきません。神を信じないで生きている人々は全世界を束縛してしまうからです。」

  そして私は、小さな人形の手に信仰の盾をつけて、私達は信仰で守られていると言いました。「新しい心にしてくれる信仰を自分で持っていれば、この世で何が起ころうとも、神聖な人生を歩み、信仰の盾を持つことが出来ます。そして敵のどんな猛襲も、攻撃も、この信仰の盾で防げるのです。」

  私が剣をつかんで、フランネルの板に付け、神の御言葉について話そうとした時、将校は気がつきました! 私が彼らに説教をしているとわかったのです! 確かにここには聴衆がいました。兵士と将校でいっぱいだったのです!

  「もう、やめろ! それを全部車に積んでさっさと行け!」

  「わかりました。じゃあ、楽しい時間を過ごせたお礼に、皆さんにおみやげをさしあげたいのですが。」

  ヨハネの福音書をまとめて取り出し、みんなに手渡そうとしましたが、兵士達はそれらを受け取ることなど出来ません。手を後ろに組んだまま、みんな出て行き、私とアントンだけになったので、聖書とフランネルグラフをまた車に運んで去りました。

  この出来事からも、神が奇跡を起こされる事がわかります。国境を越えるのに国境警備兵より賢くなくてもいいのです。しかし、祈りによって備え、自分が神の御心の内にいると確信していなくてはなりません。ロシア国境に着く時、車に聖書を積んでいるなら、私はただ警備兵に向かって大きく微笑むだけです。出発前に、「聖書を持っているか」と聞かれないようにと既に一生懸命祈ったのですから。時には、何かで彼らの思いや関心がそれるようにと祈ることもあります。主が国境で、「ちょっとした」事を起こすよう取り計らわれるのは、何とも素晴らしいです。

  例えば、あるチームが大きな運搬用バンに聖書をいっぱい積んで、ブルガリアへ行った時のことです。夏で、私達は他の旅行者のように旅をする(ある意味ではその通りなのです。日光や風景を楽しんだり、泳いだりするのですから)ので、2人はレクリエーションのために、空気で膨らますカヌーを持っていました。そして彼らはその日ちょっと怠惰で、ユーゴスラビアのどこかでカヌーを使った後、空気を抜かずに、ただバンの後部に押し込み、700冊の聖書を積んだまま、ブルガリアの国境まで運転したのです。

  国境で、係官の一人にパスポート類を渡すと、別の係官が全く何も知らずに、バンの後ろに行ってバックドアを開けました。すると…

  バーン! カヌーがドアから飛び出て、その係官の頭にあたりました! 係官は一瞬、棒立ちになりました。私達の仲間がすぐにその人を助けようと近寄り、カヌーを頭から持ち上げ、一緒に車の中へ押し戻して、ドアに鍵をかけると、検査はそれで終わりでした。あんな事はとても繰り返しできるような事ではありません。

  別のチームが聖書を持ってチェコスロバキアに行きました。国境に着く直前に、国境を越える前の最後の祈りをするために止まりました。二人ともオランダ人だったので、大好きなコーヒーを一杯ずつ入れ、ミルクの缶をあけました。ところが、二人とも男性だったので、きちんと片づけるのを忘れ、開けた缶を箱の上に置いたままにしたのです。箱には聖書と工具が入っていました。

  彼らが入国のための書類審査で事務所に入っている間に、係官の一人が荷物をチェックしようとバンを開けました。すると、どういうわけか、ミルクの缶をひっくり返してしまい、床にミルクが少しこぼれたのです。その係官は車から飛び出して事務所に戻ると雑巾(ぞうきん)を持って走って行き、こぼれたミルクを拭き始めました。平謝りで、本当にすまなく思っているようでした。それから、何の検査もしなかったのです! ミルク缶のおかげです。神が大きな事をなすために使われるのは、そんな小さなものであることがしばしばです。

 

傍観して何もしないのか?

  霊的な戦いに巻き込まれないようにする方法などありません。私達が何も言わず、何もしないなら、その怠慢な態度そのものが、悪の勝利に大きく貢献することになるのです。逆に、キリストの命令に従い、神が与えて下さる力強い霊の源により頼んで攻撃的に行動するなら、地獄の門そのものが崩れ落ちるのを見ることが出来ます!

  イエスは王の中の王、主の中の主です。主は、とこしえに統治されるでしょう。この世の戦場を横切る主の列車に乗って突き進む私達の運命は、どんなものになることでしょうか!

  真の問題とその核心は何かを認識したため、使徒達がむち打たれ、釈放され、仲間の所に戻って祭司長や長老達が言ったことを報告した時に、初代教会は正しい反応を示したのです。(使徒行伝4:23)

  彼らはこう祈って始めました。「主よ、今、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。」(29節)

  つまり、「主よ、私達が一層努力するのを助けて下さい。迫害や圧力で潜伏しなくてはいけなくなっても、おじけづいたりしません。敵が私達を迫害し殺すからといって、隠れるつもりはありません。もっと大胆になるよう助けて下さい。」と祈っていたのです。

  彼らはまた、自分達の公のミニストリーのための力も求めました。「そして御手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行なわせて下さい。」(30節)  私が東欧でした最後の文書配布の旅先の一つは、チェコスロバキアでした。ソ連軍が侵攻した1968年のことです。侵攻の1週間前、何となくこれが起こりそうな妙な感じがして、私はある友人にそれを予告していました。そして、侵攻が始まった日、私がオランダの自分のオフィスにいると、プラハからのニュースが放送されていると叫びながら、私の子供達が飛び込んで来ました。私がテレビをつけると、ちょうどソ連軍の侵攻の模様をチェコスロバキアからの生中継でやっていました。

  そのニュースを聞くと、自分がすべきことを知るための祈りのミーティングなど必要ありませんでした。ソ連まで行かずに、そんなにも近くでソ連軍に会えるなら、すぐにそこに行ったほうがいいと思ったのです!

  その日の午後、私はロシア語の聖書をステーションワゴンに積んで、オランダから1日でチェコの国境まで行きました。聖書を隠すこともしませんでした。混乱のせいで車の検査などせずに通れると予想していたからです。国境に着くと、反対方向からおよそ2キロにも及ぶ車の列がありました。国外に脱出しようとする何千人ものチェコの人々でした。思った通り、急いでいるチェコの国境警備隊は、私の車を検査するどころか、ビザも要求しませんでした。ただ私を見て、気でも狂ったのかという表情で、ゆっくりと首を振り、パスポートにスタンプを押して通してくれました。

  国境から10キロ近く離れた所で、私は文字どおりソ連軍とぶつかるところでした。カーブを曲がると2台の巨大な戦車が道をふさいでいたのです。一人のソ連軍兵士が気難しい顔で車に近づいてきて、パスポート類を見せろと言いました。車窓から手渡しながら、以前に何度も祈った祈りをしました。「主よ、荷物の中には、この国境を越えてあなたの子供達に渡したい聖書が入っています。何も見ないように、彼らの目をふさいで下さい。あなたが見られることを望まれないものを、警備兵に見せないで下さい。」 するとまたもや、神はその祈りを聞き入れて下さったのです。兵士は、ステーションワゴンの中を見もせずに通してくれました。

  また数キロ行くと、プルゼニの街頭で別の部隊に遭遇しました。なぜか私は、轟音を轟かせて大通りを進むソ連軍戦車の長い列の度真ん中に入ってしまったのです。奇妙な体験であり、きまり悪くもありました。何千人もの怒れる群衆がその町の道路や広場に並んで、ソ連軍に向かって黙ってこぶしを振りかざしていたからです。あたりはまるで死んだように静かでした。ただ、オランダのナンバープレートをつけた私のステーションワゴンを見ると、次々に叫んで声援を送り始めたのです。私はこう思いました。「ああ、お願いだからやめてくれ。哀れなオランダ人を暖かく歓迎する時じゃないんだ! 5メートル後ろにソ連軍の戦車がいるんだから!」

  やがて、前の戦車を追い越し、再び広い道に出ました。止まる度に、プラハには行くなと警告されました。プラハはもう完全に占領されていたからです。私がそこに着いたのは2日目の夜でした。

  市内は混乱状態でした。市民はすべての道路標識の向きを変え、道の名前や家の番号を全部ペンキで塗りつぶしてソ連軍を混乱させようとしていました。にわか作りの標識にはソ連軍をののしる言葉が書かれ、モスクワの方向を指していました。

  ソ連軍が占領してから最初の日曜日の朝に教会で説教をした時、通りを戦車が走り、遠くで散発的に銃声がしていましたが、教会の中は、椅子もなく、立ったまま説教を聞く人々であふれていました。その説教の間、異教徒に福音を持って行かなければ、彼らが自分達の所へ革命家か占領軍としてやってくると強調しました。

  その朝、私は教会の人々に、ソ連軍兵士に伝道する機会を逃すなと挑戦しました。そして教会のメンバーの前に、聖書の山をどさっと出したのです。彼らはそれを持って、ソ連兵に聖書を渡しに出て行きました。

  ソ連軍兵士達は、非常に不機嫌でした。チェコの国民を解放した友人として歓迎されると聞いていたのに、現実は、敵意と憤りでいっぱいの市民からののしられ、石を投げられ、戦車に放火しようとする市民までいたからです。兵士達はひどくおびえており、完全に士気をくじかれていました。

  ところが、その日曜の朝、微笑みを浮かべたチェコの人々が近づいてきて、こう言ったのです。「アイバン、イエスはあなたを愛しています。これはそれについて書いてある本です!」そしてロシア語で書かれた聖書をくれたのです。「あなた達を愛しています。イエスがあなた達を愛しておられるからです。」 彼らはソ連軍兵士達にそう言いました。これが起こったのはプラハだけではありません。私達がチームを送った他の幾つかの都市でも起こったのです。これが兵士達にどんな影響を与えたか想像がつきますか? これによってどれだけ改宗したかは、神のみが御存知です。

  私は、西欧の主流キリスト教宗派は完全に崩壊すると見越しています。唯一残るのは、真のキリスト教でしょう。中華人民共和国で起こったのがそれだと思います。現在、教会体制の崩壊から、真のキリスト教が発生しています。この真の教会には、建物はほとんどなく、牧師も聖書もほとんどなく、名声もありません。しかしそこのクリスチャンはまことの地の塩なのです。

 

エピローグ

  イエス・キリストがカルバリの丘で私達にして下さった事を思うなら、私達の神への「犠牲」は、主が私達に与えて下さった事へのお返しに過ぎません。

  けれども、確固たる立場を取るなら、必ず危険が伴うものです。どんな変化も、容易には起こりません。現在のどんな革命家やゲリラ活動家にでも聞いてみて下さい。アジアであれ、アフリカや南米であれ、どこであれ。革命家達は理想を持った人々です。彼らは今とは違う世界を望み、世界を変えたいのです。しかも早急にです。彼らは、それに代価がかかることも承知していますが、自らの信念のためには死ぬ覚悟ができているのです。それこそ、私達の献身のレベルであるべきです。

  一旦この世界に対する神の御計画を理解し始めるなら、それが実現するためには、私達が代価を払わねばならないことがわかります。だからこそ、私達は「愛の革命」の必要性を語るのです。だからこそ、「キリストのための兵士」であることについて語るのです。それは確かに戦いであり、奮闘です。主イエス・キリストに従うという信念を明確にしましょう。私達には主の御言葉があります。それを真剣に受け取るべきです。